ぶねおは、本気だ。
もうすっかりわかっただろう?誰が何を言っても、きちんと理解されることはなく、ただただ自身の理論を自分自身で確信を深めていく。
しかも、本気なのだ。

彼には日本語も、論理も、まったく通じない。わかる気がないのではない。本当に、わからないのだ。
いつだって、ぶねおは本気なのだ。

誰かが病棟の天皇といったが、一般人はその新規さに惹かれてふらふらと入っていく。相手が誰であれ、誰もが議論によって何らかの新たな見方を期待するのだけど、それはかなわない。
だんだん皆がおかしいなと思い、見てみればそこには病棟の看板がかかっている。
本気の理由もわかるわけだ。

彼に治る見込みはない。何を根拠に、といわれても、これまでの4,5年、下手をすると6,7年、ずーっと何一つ変わっていないじゃないか。
ぶねおは認めなくても、ついつい釣られた皆は誰もが骨身にしみてわかっている。
知らぬは本人ばかり。治らないぶねおが、本気なわけだ。