「単純なカード当て」こそが、「サイコー」なのだ、ということ、
「譲歩」して、「たりえる」としたのだが、

それは、今日のやりとり中でのこと。
さきほどからいっているが、「単純なカード当て」「こそ」が、サイコーだ、という
話なら、後日ブログ本文でじっくり語らせていただきます。
ぜひ351氏にも読んでほしいですね。
( ´_ゝ`)

ところで、
「サイコーである。」と「サイコーたりうる。」は、確かに意味は違うが、
矛盾はしてないよね。
サイコーたりうるものが、サイコーである場合も、確かにあるから、
両立する場合もある。

だが。

もともとのスタートを読んでほしい。
諸君(のうちのひとり)は、52分の1などは、不可能性が高くないから、
だからサイコーたりえない、とそう言っていたのだ。

「サイコーたりえる」と、「サイコーたりえない。」は、決して両立せず、
常に矛盾する。

「サイコーなのだ」と言った僕が、おバカであり、日本語を理解できてないのだとすれば、
52分の1など〜、と言った者は、
僕よりはるかにはるかに、オバカであり、日本語が理解できないのだ、ということに
なる。

そして、この人物も、
「訂正」か、「日本語を理解できないか認める」か、そう急にする必要がある、
ということになるだろう。

>>351氏は、
ご自分でフェアな思考ができているつもりなのだろうか?