知的生産の「種」となるひらめき・インスピレーションは、
パソコンの前に座っているときに都合よく来てくれるとはかぎらないからなあ。
「Macで」というこのスレの意義を認めないわけじゃないけど、
道を歩いているときに「宇宙線が頭の中を通り抜ける」(梅棹忠夫)ように、
一瞬ひらめいて、すぐ忘れてしまうものを知的生産に結びつけるには、
パソコンは不向きな気がする。
頭の中を整理するってことならいいかもしれないけど、それは「生産」というのかな。