当事者がOKしてても「一般大衆が誤解をするといけないから」あのCMは
ダメだとしたら、それって結局誰のための配慮なのかねえ? ぶっちゃけ、
「私は障害者を見ても笑ったりしない良い人」という自意識を
持っている健常者を動揺させないための「配慮」なんじゃないの?

漏れもちょっと障害者運動の勉強とかしてきたんだけど、当事者団体では
障害者が常に「配慮されるべき弱者」としてしかメディアに登場できない
ことに対してすげー怒ってるんだよ。よーするに、安いお涙頂戴だったり、
ハンディ背負ってるけど健気にやってます、周囲もそれを支えてます、
辛いこともあるけど幸せ一杯です、みたいなやつ。そういう、当事者
以上に健常者の良心にとって「安全な」保護枠をぶち壊して、いわゆる
健常者とリアルな感情の衝突によって変容をもたらしたいという当事者たちが、
たとえば障害者プロレスを創出したり障害者落語をやったりしてるわけ。
運動系にはこんなアナーキーな人たちばっかでもないけど、たとえば
小人症の患者会の人とかが27さんのレス読んだら、たぶん27さんの
言ってることは筋違いだと批判すると思うんだけど。結局俺たちの身体を
見るのが不快だ、あるいは違和感を感じてしまう、っていう感情を
自分で受け入れられずに、「他の健常者が誤解するといけないから」と
言い換えてるだけだろ、って。不快でも違和感があってもいいんだよ。
それはスタート地点にすぎない。問題はその感情をどう受け入れて
昇華していくかで。その感覚を隠蔽して他者に転嫁するだけじゃ、何も
変わらないんだ。