だんだん梨タンのいいたいことがわかってきた。

哲学の具体的内容から考えて、Macはユーザーがやるべき事のいくつかを
システムが肩代わりしてくれてる。その結果ユーザーは煩わしい設定のいくつかを
すっ飛ばして利用出来る。
が、反面、システムが用意したフィールドから容易にはみ出すことが出来ない。
孟母三遷の教えよろしく、ユーザーが間違った方向に向かわないように環境を
整えて、口に出すでもなく導いてくれるのは良いが、
自分の支配圏外に出ることを有無をいわさず拒絶すると。こんなところか?

一方Winは何か事が起こればすべて報告してくる。指示やヘルプをみれば基本的に
誰でも状況を理解して対策出来ると。

たとえればClassicOS(OS Xは再検証が必要)はちょっと頭の固い、考えの古い賢母、Winは口やかましい教育ママといったところか?
どっちも遠慮願いたいがw

単純にユーザビリティがどちらかといわれればWinかもね。
でも、進取の気性に富んだ賢母がより広いフィールドで遊ばせてくれるなら教育ママでは
相手にならない気もする。
UNIXベースでのOS Xにはそういう可能性があるんじゃない?

ツールバーも標準になったしw