「つうほうすました」

ほっとらいん、なぷすた、ういんえむえくすなどは、
おんがくふぁいるや ねだんのたかいそふとを いんたーねっとのせかいで みんなのものにしてしまう そふとのなまえ。

ほんとうは、おみせでうっている おんがくしーでぃーや まっくでうごかすそふとは、
つかうひと ひとりひとりが おかねをはらって たのしむものなんだ。
もし、おかねをはらっていないひとに それを ただであげてしまったら、
おんがくしーでぃーや そふとをつくっているかいしゃは もうからなくなってしまう。
そうなると、わざわざおかねをはらって それをかうひとたちががすくなくなって、
そのかいしゃが つぶれてしまうかもしれないんだ。
そうしたら、みんなはおんがくをたのしむことも、まっくであそぶことも、できなくなるかもしれない。
そうなると みんながこまってしまうので、
いんたーねっとのせかいで、ほんとうは おかねをはらわないと つかえないようなものを、
おかねをはらわないで みんなのものにしてしまうことは、
こっかいできめるほうりつで きんししようと しているところなんだよ。

「つうほうすました」は、そういう あまりよくないことができるそふとのすれっどで よくつかわれることば。
ほんとうに「わるいことについてはなしあっているので、けいさつにつうほうしました」といういみではなくて、
「みんなは、さいきんげんきかな?」と きがるにつかうあいさつ。

でもよくかんがえてみよう。
わるいことにつかえるからといって、そういうそふとを「わるいそふと」ときめつけるのは はやがってん。
そういうそふとをつかうと
みんながかんがえた あたらしいかいじんのえを 
せかいのみんなに みてもらたり、みんなでこうかんしたいときは、とてもべんりにつかえるよ。
おにいさんは、せかいじゅうのみんながつくってくれた あたらしい「かいじん」のえを、たくさんもっているよ。
みんながつくってくれた 「うた」だっていっぱいもっている。
そういう つかいかたなら いいよね。