>プレイヤー自身の姿を登場させないのはADVの鉄則ですからね。
ちょっと脱線になるけど。これは鉄則じゃないのよ。
出してるゲームも少なくないよ。EVEとかまりなとか出てるでしょ。
姿を出さないタイプのゲームは、主人公の容姿を見せない事で、プレイヤーに想像
する余地を残すと同時に、プレイヤー自身を投影する効果を狙うの。
「AIR」がうまいのは、DREAM編では主人公の声、容姿を出さずにプレイヤーに
自己投影して楽しむ余地を残しておいて、「DREAM」「SUMMER」と進んでいくにし
たがって、プレイヤーが主人公のキャラクター(個性)を理解した時点で「DREAM」
編の主人公「国崎往人」を客観視点から見せて描写する。この時点では彼のキャラ
クターがおおまかプレイヤーに理解されているので、詳細描写しても違和感を大き
く抱かせずに済むと同時に、プレイヤーの置かれた立場に不思議な感覚、違和感を
起こさせる効果もあった。先の展開を既にプレイヤーは知ってるわけで、それらの
事態に今度は客観視点から「国崎往人」「晴子」らの言動の新たな面を見ることで
物語が補完されていく構造になっている。
DREAM編では主人公を詳細描写しないタイプだったけど、AIR編ではその縛りは解か
れていると考えていいかと思う。

ついでに、人形はシンボルであり、力だったけど。
力を解放し、観鈴に幸せを感じてもらうための時間を与え、継承者の最後の願いを
叶えた(”そら”になるための力)時点で、その役目を終え、永い時の呪縛から解
かれたんだと思う。往人が”そら”になったのは、人形に込められ、力となってた
者たちのなんらかの意志が働いたのだろうと。
「あの鳥はまだ上手く飛べないけど〜いつかは風をきってしる〜」

それに、いくらなんでも人形に転生するのは哀れすぎる。生命なきものに転生する
というのは、輪廻転生の輪から外れる永劫なる魂の彷徨い人になるって事になりか
ねないし。
と、私は思いました。