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ルサンチマンとしての儒教

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0001仏家NGNG
浅野裕一という人が、
『孔子神話』(岩波)
『儒教 ルサンチマンの宗教』(平凡社新書)
などで、孔子や儒教をコテンパンに批判してるんですけど、
儒家の皆さんはどう思ってますか?
0002宇屁輔NGNG
 我 非儒家也

然 有 些細的彼之情報

一言的批評 此奴馬鹿者 昔日 於支那 所謂 文化大革命 蜂起

毛一派 扇動 批林(毛沢東的政敵)批孔運動

彼(浅野裕一)便乗本 種々著作

結論 彼 現代的化石之一人
0003名無しさんNGNG
ようするにピーリンピーコンに便乗した曲学阿世の徒という訳ですな。
読む価値なし。
0004仏家NGNG
なるほどねぇ。そっちの流れの人なんですか。

>読む価値なし。
読んじゃいましたよ。まいったなあ。
0005名無しさんNGNG
批林批孔にいう「孔子」が周恩来を指していて、
実は四人組による周恩来批判、中共の内ゲバに過ぎないというのは、
もはや定説。
0006名無しさんNGNG
いわゆる儒教って、朱子以降じゃないですか?

儒教って言う呼び名は董仲舒からでしょ?
ちがったっけ?
0007名無しさんNGNG
公羊学の文脈からすると、あの本そんなにインチキでもないよ。
というかあんなにセンセーショナルに書くこともないくらい普通。
0008仏家NGNG
>あの本
って上記の本のことですか?
「公洋学」は言葉は聞いたことあるけど、
すんません不勉強です。

『論語』を読んでいて
「こいつ、ルサンチマンの固まり!」
と率直に思うけど、同時にそれが結構「好ましい」
ってスタンスで読んでたんですけど。
どうなんでしょうか。
0009名無しさんNGNG
浅野裕一『孔子神話』に対するまともな論評で、最も短くかつ最も
的確なのが、池田秀三『自然宗教の力─儒教を中心に』(『叢書現
代の宗教』16、岩波書店)の中にありますよ。その部分だけ探そ
うとするとなかなか見つからないかも。
0010名無しさんNGNG
『孔子神話』の書評なら、去年『東方』に載ってたな・・・。
0011名無しさんNGNG
白川静の『孔子伝』はとても新鮮でした.
儒教と古代中国のシャーマニズム的社会との関連とか
孔子が各国を亡命して歩いたこと、、、いろいろ勉強になりました.
自分のなかで儒教のイメージが変わりました.
0012名無しさんNGNG
あのー、孔子のころは儒教とはいわないと思うんですけど。
0013名無しさんNGNG
↑つーか、近代以前は「儒教」という表現あまりつかわないのでは?
0014解説くんNGNG
رَحَلتُ جَنوبا...رحلت شمالا...
ولافائدهْ...
فقهوةُ كلِ المقاهي ، لها نكهةٌ واحدهْ...
وكلُ النساءِ لهنّ - إذا ما تعرّينَ-
رائحةٌ واحدهْ...
وكل رجالِ القبيلةِ لايمْضَغون الطعامْ
ويلتهمون النساءَ بثانيةٍ واحدهْ.

0015名無しさんNGNG
>14
お前ブラクラ野郎と同じでワンパターンだね。
0016浅野裕一はつまらんNGNG
るさんちまんとしての儒教を捉えることなんか
以前から行われてることだし……
お師匠さまどうよう退屈ひとだなぁ
001716は御尤も!NGNG
その通り16!それで孫子は誉めると言うから頭はパーな電波。守屋洋(中華ナショナリスト商売家)
ぐらいになってこい(!?)
0018名無しさん@1周年NGNG
 ここに書かれている非難は悉くナンセンスだね。『孔子神話』は
学術論文がベースになってるんだから、それ以前の儒教研究史の流れを
把握した上で読まなければ、本当の面白さは理解できません。
 ルサンチマンとしての儒教把握が以前から行われていたといっても、
上述の如き研究史の流れから言えば、その内容は浅野氏とそれ以前と
では全く異なります。そこを理解出来なければ、そのような非難には
あまり意味がありません。
 氏以前の研究スタンスがどんな感じだったかは、孔子神話のあとがき、
三段落目『そんなことがあったせいかどうか・・・』以下にかいてありますよ。
0019名無しさん@1周年NGNG
>18
専門家の間でもあれは(と)として、ほぼ無視されています。
学界が保守的であるとかそういうことではなくて、
元となった学術論文も含めて、評価されるべき水準に達していないんですよ。
むかしの岩波ならこんな本は出さなかったでしょうね。
物の分かる人がいなくなったのでしょうか。
0020おぉっとNGNG
上述してないや。
0021えーとNGNG
>19さん
18です。(と)とは「とんでも」の「と」でしょうか。一応確認。

で本題ですが、「(と)として無視されている」「評価されるべき
水準に達していない」と言われても、あなたが何を指してそう言う
のか教えていただけなければ反論のしようがありません。確かに氏
の論の進め方や喧嘩を売るためにやってるような書き方には問題が
あるとは思いますが。
 私にとってはかつて読んだ同じ岩波から出た板野長八「儒教成立
史の研究」のほうが、よほど納得がいきません。強化されていく「
皇帝権力」、最初から強い「家父長権力」。
 強大な皇帝権力なんて魔法の杖と同じで、統治論とセットにすれ
ば何でも言えるってな代物ですし、家父長権力にいたっては古代の
(統一帝国成立期の)家父長権力が強力だったと誰が証明したんで
しょうか。無論板野氏はもうだいぶ前にお亡くなりになってますから、
近年の、例えば李開元「漢帝国の成立と劉邦集団」に見られるような
皇帝権力の相対化の動きに基づいた批判は卑怯ではあります。
 しかし私は、今必要とされるのは浅野氏や李氏のような、従来の
研究において自明のものとされ、或いは無意識に受容されてきた
『公理』を再検討し、その上で新たな公理系を構築する試みである、
と思います。
 その意味で私は『孔子神話』を大変面白い本であると考えます。
いかがでしょうか? 長くてゴメンナサイ。
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