マレー作戦の瞬間メリメリと言う感じでマレー半島に日本軍が入ってきた。
「うあ、シンガポール攻略であります」「次はビルマじゃ、攻略せい」十五軍からがっちり監視されているので
私は芸者遊びができない。K中将は1943年ぐらいにビルマ方面軍司令官になって来た。
私は連合軍に反撃の準備がありそうな感じがして作戦を立てた。K中将は「是非やらせてやりたい」といって
私の作戦を支持してくれた。だが、作戦開始後もK中将は私をメイミョウ呼び出したびたび芸者遊びをした。
K中将は、「苦戦かあ、苦戦かあ」「もっときつう補給くんしゃい」
といったお前線の報告に対し私に天長節までに攻略するよう伝えるように求めた。
そうしているうち、私も作戦の失敗が苦でなくなり、祭壇で祝詞さえあげ、その気も無いのに切腹すると言うようになり、
K中将と共にビルマを離れるが待ち遠しくなっていた。
だが、K中将は翌年大将になり、航空総軍司令官として本土で終戦を迎えたという。
戦後私はK大将の面影を求めるより、インパール作戦の失敗を三人の師団長のせいにして終始自己弁護に徹するようになったのだった。