人間が他人を表面的に観察する場合、知性と感情は別物だと思います。

外部からの刺激(入力)を知覚する反応=「意識」
入力に対する出力(リアクション)=「人格」と
感じてるんでは無いだろうか?
つまり脳は目(視覚)や耳(聴覚)を代表とされる
感覚器官と密接な関係を築いており、そこからの
データを受け止めるのが『意識』
で知性が、データから分析や推量をして、目的に叶った解を
定めて『感情』という出力表現用アルゴリズムで変換されて
言葉や行動という形で出力されているんではナカローか?
つまり外部からの情報にたいする出力(リアクション)と呼ばれる
表現に『知性』とか『感情』という分類別け出来る要素を感じ
これらを十破一掴して『人格』と感じている気がするのです。

まあ、この場合『知性』とか『感情』と呼ばれるプロセスも
『意識』の機能を一部共有しているはずなのだが・・・
『意識』には知性も『感情』も内包していないと論じたい。

例をあげると
泥酔状態:意識は機能しているが知性が麻痺
催眠状態:意識の機能が外部との接続を低下させ
     脳内処理データを再度入力→ループ
意識不明:1.事故等で気が付いたら病因のベッドの上
      しかしその間たいてい夢は見ているはず。
     2.ボクシング等では意識が飛んでいるにも
      かかわらず戦い続けているケースが良く有ると言う

つまり、人工知能自体が人間のような表現方法を採らない事も考えられるし
人間のような表現手段を採る機械が人工知能とし優れているとは限らない