>>361
古典になった構造主義のノーム・●ョムスキー氏の普遍文法の発想の基本的な部分に、
ちょっとした先入観が入り込んで、誤った思考が形成されたという見解を持っている。
だから、こてはんさんが習った教科書の記述とは全く噛み合わない別の受け留め方が、
私の発言の中に堂々とマヌケに見えるように書いてあってもそれはむしろ当然だろう。

人間の思考を生成するメカニズムは、普段日常我々が意識して自覚しているものとは、
ずいぶん違う構造をしているらしいことが、しだいに分かってきつつあるのが現状だ。
その視点からの見解を書くこと自体を、真っ向から否定するのは、行き過ぎた変な話。
そんなことを私に対して一方的な精神的姿勢で、無理に強要する発想の気分になって、
これから昔の教科書をひっくり返してまで調べ直す、無理な背伸びをするつもりなら、
すれ違う結果に終わるだけだから、ほどほどのところでやめておいたほうが双方の得。

私が今現在用いている知識の体系や思考様式や、思考を補助する演算技術群はたぶん、
こてはんさんの習った現在よりもやや古いものより更に古い時点で枝分かれしていて、
長い過程を経て今では全く違ったモノに成長しているのだから、一致しなくても当然。
産業革命以降急成長した、左脳中心の西洋型の合理主義一辺倒の思考様式そのものを、
自然環境を壊す生命原理的に自然調和しないものとして危険視する立場を採っている。

自分とは全く違う、右脳的な要素を採り入れた、先鋭的な新発想の考え方をする奴は、
全員この場から社会的に排除って動機付けの発想を、もしも展開してるのだとしたら、
公共の場の私物化を宣言しているのと、同じことになると受け取られるのではなかな。
バッシングがこうじて精神的姿勢がなんか変というふうに受け取られるだけだと思う。