>>477
>馬鹿な人間の可能性 = チューリングマシンの可能性
>利口な人間の可能性 = チューリングマシンの可能性
>馬鹿な人間の可能性 = 利口な人間の可能性        
>が導かれるが、これは現実に適合していない。          
そもそも定義して合理化している段階で可能性を否定しているとは
思わないか?              
論理的おさまる考えで思考が停止する方向性になっているように
みえないか?          
             
人間には論理や理屈を超えた部分が存在する、さらに論理的や理屈に
従う形式型の思考もできる。            
これを「同時」に存在できるのも人間だろ。          
「馬鹿な人間の可能性 = 利口な人間の可能性 」            
現実に適合してなくても、それを超える能力が人間にはあるとは思わないか?
理に合わない部分に、人間の知性のすごさがあるとは思わないか?
理屈思考以外を池沼だと表現する方向性があるが、知性に関しては
オカルトや精神世界の分野で非合理的な多次元世界であり、科学などで
思考できるような範囲を超えていると思わないか?(哲学)
「カオスの2重振り子の話」で単純な振り子が無限のリズムを奏でる。
多様性の予測は物事の理では結論できる範囲を超えている存在であるが、
人間の知性はその原則の含んでいると思わないか?
>>479
あげるなw