現代人の己自身についての認識は古代ギリシャの流れを汲む「精神こそ人間の本質」だが、果たしてそうだろうか?

例えば昆虫図鑑を例に挙げてみよう。

蟻について扱った項目があるとする。
そこに蟻の形骸的な特徴についてしか記述がなかったら、あなたはどう思う?
おそらく、「蟻の社会的な集団生活のシステムについてまったく言及されていない」と
思うはずだ。

同じことは人間についても言えるはず。

人間という生き物を形容するのは精神的なものではなく、その「精神活動の軌跡としての」
社会的・人間交流にこそあるのでは?

電脳でも肉体に憑依した意識でも、それらの活動が何らかの形で物理的な形を得なければ、
それらは存在しないのと同意義なのでは?