>>561
ゾンビや中国語の部屋は「尤もらしく見える」という問題ではない。

中国語の部屋はチューリングテストでは知能なり知性なりを測る基準にならないことを指摘している。
哲学的ゾンビは知性において主観的体験が意味を持っているのではないかと問題提起している。

どちらも人間の知性が物理的基盤から発生していると言うこととは矛盾しないテーマ。

知性の判定が人間らしく見えるかどうかとは関係ないことはその通り。
だからチューリングテスト自体意味が無い。と見なすのが当然の結論。

問題は、では知性とは何か?
思考なり思索なりを機械にやらせるにはどうしたら良いか?
が重要。

そしてその道筋は今のところまるで見えていない。
シンギュラリタリアンはそこをすっ飛ばして計算能力が上がれば勝手に何かが生まれると盲信している。
だから妄想乙と言われるのも当然の話。