主観的定義へ導くのはそれを頭から見下し論破するって構えているだけじゃね?
どっちにしろ認めない限りそれは受け入れられないことで、そういう認識の
信じる何かを賢者でも先生でも人徳のある人がいっても結果は同じである。

なぜそういえるか?おれがそういう風にやっているだ。そういう言葉の技な。