>>535
そうなんだけど、その状況は技術的にどういうことが為されている状況なのか…

クオリアと報酬系の電気の関係にまで突っ込むとややこしいけど
とりあえず、「快とは報酬系の電気」だとすれば…
快の量は、報酬系の電気の量ってことになるよね

この時、同時に時間感覚をいじると、快の量は増えたことになるのだろうか
今の論理だとならないよね
でも直感的には増えそうな気がする…

これはやはり「快とは報酬系の電気」という前提が誤っているのではないだろうか
そうするとややこしいがクオリアと報酬系の電気の関係にまで突っ込まなければな

らなくなる

思うに、快がクオリアの一種(あるいはいくつかのクオリアをまとめて指す言葉)であるのと同様、
時間感覚も時間体験というクオリアの一種なのだとすれば
無限のような時間を体験しつつ快を体験しているといえるのだろうか
言えるなら、真の快(?)は快×体感時間といっていいのだろうか
体感時間を∞にしたとき「真の快(?)」は∞となり
その人の主観において不老不死が実現したことになるのだろうか

クオリアにこのような計算が成り立ちうるのか…
クオリアをどう扱えばいいのかにまで遡らざるをえないのだろうか
そんな哲学的な問題も含めて幸福最大化装置について考えてます
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