死の恐怖なんぞとはいっとらんけどな。死に対して、どう処理するかとは言ったけどなー。
それがつまり、埋葬であり、死後の世界という観念であり、神というモノに仮託して死後を保障してもらうという形になっていった。
エジプトなんかでは、この辺は極めてちゃんとした手順として完成されている。
やがて、神への仮託は神への契約という形式を経て現世利益に結びついていった。現世も死後も神がまとめて面倒を見てくれますよ。
そういうシステムだな。キリスト教の原型であるユダヤ教なんかが、そういったものになる。
キリスト教では洗礼というヤツがとても重要で、これは洗礼=キリスト教の神との契約なので洗礼を受けないというのは神との契約が行われず救済を得ることが出来ないから。
中世ヨーロッパではこの救済を得られない恐怖というものは極めて大きかった。
この辺のあらましは異教的中世なんかにわりと細かく書いてある。
結局の所、キリスト教世界は神との契約による代理人による統治という体裁なので、イヤでも権力と宗教はイコールになる。
この現世における権力というものは死後の世界を保障する神との契約という考え方に基づいている。中世の三職分なんてのもこの延長だな。
この辺は中世の国家と教会なんかに書いてある。
要するに、死への対処という宗教はやがて死後の世界の保障、言い換えれば死後の世界を担保にすることで現世の行為を縛ってきたという経緯がある。
だから、宗教の力の源泉はやはり死という未知をどう対処するかなんだよ。