>構造的カップリングが成立しな いと、「意思疎通」(と言われてる奴)は出来ないわけさ。
>で、例として書いたような事象ってのは、その最たるモノのうちの一つであってさ。

どんなものを間に挟んだとしても構造化カップリングは成り立つと思うけどな。
手を触れる距離のコミニュケーションだって個体間には界面があるという事実がある。

#正直、界面の無いコミュニケーションとは個体を超えて遺伝子を半数ずつ交換すること、
#ズバリ子供を作ること、だと思うぞ。

「実」(じつ)、すなわち本人が必要なときは自分を物流に乗っける。旅客をすればいい。
ただし、当然コストが掛かるから実用的には速度に妥協がある。

すなわち、旅客は旅客自身のエントロピーを無駄に損失しない程度のスピードが必要。
しかし、「実」の伝達にかかるコストが「実」の需要と照らし合わせ正当かどうか、
そこで妥協をする必要がある。

>…いつ「クオリア」は既知のものになったんや?

つまり、テレイグジスタンスだけではコストが見合わなくなった時点、
クオリアの需要が必要な段階になったら「物」を送ればいい。

物流を否定できないのはそういう理由。

むしろ、クオリアを考慮するなら
乗用は出来ないが、小包ならば地球上なら何処でも1分以内に届くような
究極の物流を持った世界を目指すべきかと。

#人は愛すべき人、実を必要としている誰かのそばに何時も要られるのが
#物理的なコストからいっても理想ってことだ。