個人の究極の幸福は人類の究極の幸福と全て一致しない。
最終的には、人類の究極の幸福の枠内での個人の幸福と言う構造に落ち着くと
思われる。しかし、個人の究極が可能な技術が目の前に有りながら、すべての
人間が「それでよし」とするでしょうか?
ドコかの時点でドカン