調べてみた。以下引用。

>業、という言葉は仏教の代表的な大切な思想だとされている。
>サンスクリット語のカルマンは仕事、事業、何かを“する”という意味らしいので、
>行為、と言えば判り易そうだ。前節の三不善根は人間の、生き延びる本能に根ざした
>性質なのだけれども、その性質に基づいて、我々は、じっとしていられないで
>行動を起こす。つまり何かをやらかすわけだ。
>その行動によってなされる世の中の変化が行為、つまりなされたことだ。
>それを“業”と仏教では呼ぶわけだけれども、そうなると人間は本能に基づいて、
>業を重ねて行く生き物だと言えることになる。
>業を重ねるということは、人が行動によって世の中に変化を生ずることだ、
>と言えば簡単だけれども、一度“変化”が起こると、それでことは終わりにならないのが
>世の中、つまり自然の原則だということに気が付くと、事態は単純なものでは無いらしいと
>判るだろう。そこに仏教のもう一つのキーワードである因果(ヘト・プハーラ)とか
>因縁(ヘト・プラトヤーヤ)を考えることの必然性が出て来るのだ。