必然とは超能力のことである。
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0001マリック
2008/07/01(火) 17:28:56ID:Z4ux/UR10002マララー( ・∀・) ◆0MjKMARARA
2008/07/01(火) 17:29:34ID:65OBrycK0003名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:32:00ID:Z4ux/UR1生命が生まれたのは偶然ではない、必然なのである。
生命が科学で生まれた訳ではない。
必須条件ではなく、自然環境の偶然と偶然が重なり
意味に達し得ない状態から意味へと昇華するのが必然というもの。
即ち意味となる結果は必然なのである。
意味のない偶然を読み解けるものこそ必然を理解できる。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:34:48ID:Z4ux/UR1魂を否定するものはクルナ!
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:35:37ID:Z4ux/UR1それは特徴という神秘的な力そのものである。
0006薬屋
2008/07/01(火) 17:37:39ID:Z4ux/UR1理とはそういうもの。
それは必然で起こるものであり、認知できなければ偶然と呼ぶだけにすぎない
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:40:50ID:Z4ux/UR1曇り無き眼でしか見ることができないのが象というもので
知識の眼でみれば、人の見る象は像となる
※動物のゾウではない。
真「まこと」とは、事のありよう。あるがままの姿と形。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:43:52ID:Z4ux/UR1未来の真を生む縁と理と形に力(歪み)を加える存在
すなわち、物の真を曇りなき眼で見ることができる存在
故に正しき眼がなければ、未来は見れない。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:48:39ID:Z4ux/UR1つまり未来を変える力は過去の力の有り様に存在する。
では未来は変えられないか?有限論では未来は過去のように決定された
要素が既に有限に存在する訳なのでその因果関係は有限に収束する、
つまり未来は変えることは不可能なのである。
しかし、
無限論では時間も時空も次元すら無限に存在する、収束しない現象は
無限な可能性を示す。これは直後の未来は現在の延長であるが遠くの
未来は現在の延長ではないということになる。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:54:21ID:Z4ux/UR1可能性の薄い現象論。
つまり時空の流れが複数ある場合は観測者にとって別の時空を観測者が
認知することはできない。故に過去を変えられないという有限論の考えに
収束する。
必然は神がサイコロを振るか、振らない決定論かの差となって現象化する。
物を意味する常識で考えれば決定論に支配される。
その流れに感化されたものは科学万能主義へと落ちる。
超能力はその流れに支配されない魂の濃い計れない存在が作る未来である。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 17:58:19ID:Z4ux/UR1故に我は魂を信じ、科学や言葉や知識で支配された常識の超えられない
嘆きの壁を越えた先に到達できる。
冥界に達しえる力こそが超能力の基本であり、超科学(科学ではない)の
トンデモといわれても、必然に起こることを歪ませ見えないものを見ない
態度を改めない愚かな盲目な人と別な行動をする漏れが云おう。
超能力は必然である。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 18:03:41ID:Z4ux/UR1その超能力で意味のある結果を出せと。
それは違う、超能力は現象ではなく象徴に由来する事象を
扱う類いなのである、
象徴的な結果は得られる、それは意味のあるなしは関係は薄い。
物事の全てを、意味と無意味に別けるのが区別であり、
象徴的な概念では意味と無意味の区別はない。
つまり全てが必然で意味へ昇華しえない概念という結果へ至る、
それが象徴的な意味を得る結果となる。
世の中に偶然はない、偶然を作るのは意味に囚われた認知が
偶然と意味になりえた現象を区別するだけ、意味になりえる前の
現象は観測していないわけだから区別ができない。
必然とはそういう見えない存在を指す、知識のみで考える君には
理解不能で受け入れがたい能力といえる。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/01(火) 21:36:37ID:WWPOotrk0014名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/05(土) 04:16:43ID:v63YnV8N必然に変わるのではなく、意味を見出した認知があったときに必然と呼ぶ。
ただそれだけ。
人に歪みが生じるのではなく、人が作る何かには常に歪みが存在する。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/07(月) 19:27:34ID:DEZzKgWg0016名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/07(月) 20:13:02ID:prFAPShm0017マリン
2008/07/07(月) 23:27:00ID:JnZuGAsa0018名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/08(火) 02:05:59ID:L4njesmd0019名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/08(火) 12:11:22ID:GK/Xs4EB魂ってなに?
まずはここからだろう。
よろしくお願いします。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/08(火) 12:23:33ID:GK/Xs4EB0021マリン
2008/07/10(木) 11:32:28ID:uAFSyEBO王冠で王権を象徴か。と、納得できる。
誰になんと言われようと。
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/10(木) 16:50:55ID:g6ENnjPk>超能力ってなに?
計れない能力を超能力という。つまり計れる能力は超能力ではない。
>魂ってなに?
魂という性質、そして魂というモデル、それは特定の性質でもなく
雲のように全体としては雲と定義できるが、雲のそれぞれの形までは定義
できず、その形は刻々流転してゆく存在。
特定の条件を整えると一定の形を生む。それは台風の形だったり積乱雲の形
だったりするのと同じである。
>>20
物の抽象的な方向性、抽象的な現象モデルを認知する力のこと。
世界性や象徴性や行為性に対して成り立つ世界観のモデルである。
そのモデルがなり得ない事象を感じ取る、それにモデルが完成する要素を
操作する、最終的にそのモデルが完成する(能力者により完成形は異なる)
これが超能力の論理的なモデル。
知識や学問で得られた客観性や普遍性や論理性を元に何かを作るのが科学で
あり、感じ取ったモデルから何かが生まれることを見出したときに何かを
結ぶことで何かを生むのが超能力でいうオカルトの仕組み。
決して作るのではない。生まれる直前を見抜くことが重要なのである。
>>15
それが超能力である、誤解しては困る。芸術も超能力の一種。
>>21
象徴とは、直接的な意味をもたないという意味を示している。
つまり楽な概念を捉えることではなく、理解できない、観測できない
見ること触ることができない意味のある現象でもないことを感じる為に
必要な言葉として「象徴」という使い方に間違いはないはず。
オカルト現象、例えば幽霊や幻聴など、捉え様がないそれらを象徴以外で
捉えることができるのか?
それらはアヤカシとか、妖怪とか、幽霊とか、魔物、化け物として現実には
ない象徴的な名前を付けるしかない。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/10(木) 17:07:12ID:g6ENnjPk魔術、そして超能力である。(インチキではなく、魔術、常にタネはある)
科学的な方法だと思うのがいるが、科学で捉えられない現象へ至る直前を
捉えることが超能力であるから、何かの要素なしで現実にはなりえない。
オカルトや超能力では眠っている事象を扱う、それを起こして機能させる
ことを見抜くことが超能力でもある。
故に思いが念力となり物理現象の流れを曲げるなんてことはありえない。
物理現象の流れに従うが、科学では捉えられない三体問題以上の複雑な事象
を扱うものである。太陽系外の隕石が地球に落ちてくるのは科学では
計算しえない。それは常に誤差があるから。
その仕組みを感じ取り、落ちてくるのを予知することができれば
それは科学ではなく超能力であり「物理現象の流れに矛盾もしていない」。
人がつくった観測による法則は、人が捉えた近似値であり近似法則である。
常に完璧な法則などはない、何故なら人が作った学問が示すのが法則という
利用可能で反証可能な知識だからだ。
その知識では捉えられないものを扱うジャンルがオカルトと呼ばれる。
地震を予知するのはオカルトor超能力で、予測するのは科学。
誤差の多すぎる測量では予測精度は指数的な誤りの塊でデタラメに近い。
オカルトor超能力での予知は能力者の能力に依存するし、その予知の度合い
も曖昧だったり確実だったりとバラバラである。
つまり予知が確実にあたらないからオカルトは間違いであるというのは
科学的意味の切り上げで、オカルトでは曖昧は曖昧のままに扱う。
そういう性質だと予知するだけであり、そんなものは現実の意味へ解釈すれば
どんな解釈にでもなる。曖昧なものを曖昧として扱えない時点でオカルトの
意味すらわかっていない。物事を象徴として捉え、潜在的な意味として捉え
確実なものと区別しないなら科学でも信仰したほうがいいです。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 01:47:14ID:VncGX2Ym0025名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 01:49:57ID:VncGX2Ym0026名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 09:47:43ID:eqD/tHqr何かが起こるのを発見して、手を加えてやる。
これが超能力か。
これ観察力とは違うのかな。
予知したことが当たろうと当たらなくとも関係ないんだ。
言い方は悪くてすまないが妄想と同じようなものかな。
そういうので迷惑を被る人もいそうだね。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 10:12:49ID:eqD/tHqr私は、科学対超能力のような二項対立ではとらえてないんだわ。
なんとか理解したいと思ってる。
そして超能力と呼ばれるものがスプーン曲げたり、カードを当てたりするだけのちんけなものではないことを祈ってる。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 10:26:56ID:eqD/tHqr「どうしてできるのですか?」
「説明なんかできないよ」
これでおわったら悲しい。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 13:48:30ID:VncGX2Ym>何かが起こるのを発見して、手を加えてやる。
科学では発見できない、そして誰も理解できないことを発見するからこそ
超能力である。
観察して分かる程度なら超能力とは呼ばないだろう。
>、手を加えてやる。
この何かを加えるのが一番重要で、形に対してバランスを加えても
それは意味をなさない場合がほとんどである。
形が訴える何かしなければならないという前兆を読み取る
つまり秩序を読み取りそれが足りない部分を補って、邪魔をしている
部分を削ってあげる。
それも満ちている状態でなければ正しく対応するのは非常に
難しい。正しく出来なければ予知(人為的)にもならない。
>例えばカードを当てる。
>「どうしてできるのですか?」
>「手品で仕掛けを説明すれば楽しくないですよ」
対応の仕方と思われます。
この世の手品師が営業できる理由があるわけで(ry
>これでおわったら悲しい。
確かに手品師がタネを明かせば、なーんだ、つまらないことで
神秘性を感じていた客が幻滅。
自然現象がなりえる形にしか、結果は誘導できないのは当然です。
何せ客に幻想を見せてそれを芸としているわけですから。。
ですが、戦略となると別の話でしょう、魔術のタネは絶対に明かしては
いけない、相手を騙して勝利を勝ち取る。
闘う相手の特徴を見抜き相手が好む幻想を見させてあげる、
つまり敵対する相手の行動の支配につながります。
見えないものを扱うからこそ、仕掛けが学校などで学べないからこそ
その仕掛けが効力をもつわけです。
人や言葉は裏切りますが、能力や特徴は裏切りません。
結果は曖昧にそれらしく誘導という流れになりますが
能力や特徴が優れているなら優れているほど確定した結果を生みます。
これは人の定めです。能力のあるものは能力を、特徴のあるものは特徴
を必然として再現するものです。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 16:27:22ID:eqD/tHqr科学的手法や、他人には発見できないことを見つける能力ね。
オッケー、これはすばらしい能力だ。
この能力について論じるのと、手品のタネあかしが同じレベルの話とは考えにくい。
超能力の目的はエンターテイメントなの?
戦略でも、事後は解説してもよいのでは。
この超観察能力は人の世の為に生かすべきだ。
それには「どうやって」が必要となる。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 16:48:10ID:eqD/tHqrこの能力がとても高いわけだ。
それは何故だろうと考えるのはおかしな話ではないよね。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 18:31:06ID:VncGX2Ym巡廻セールスマン問題を知っているだろうか、
この解を求めるには全数の解を計算するか、論理に従い最適な経路を
探して近似解を求める方法がある。後者では近似解であってもっとも
最適な経路を求められるわけではない。
何故か?それはもっとも合理的な経路を自然に選んでしまうのが
最短の時間で求める手法だからだ。
見えない位置に存在する隠された解は合理的に一番の手法を考えれば
考えるほど合理的な解を選んでしまう。
全ての経路を探さない方法では合理性を選ぶしかない。
これが合理性が選ぶフレーム構造となる、山の道を歩くときにわざわざ
崖や深い渓谷を選ぶか?どうやっても山の道を進むには安易な合理的に
選べる容易い道を選ぶ。
つまり崖や渓谷に解が存在するなら、この選択という合理性が正しい解を
選ぶ壁を作ってしまう。
セールスマン巡廻問題を「ほぼ確実」に解く方法はカオスニューラルネット
ワークのような合理性と「多様性」の両方の性質を持つ検索手法が必要となる
純粋に多様性の極みとなる全数検索は明らかに無意味だろう。
人は物事を認知する場合には常に意味として捉える、この暗黙的ルールが
情報の探索や観察において特定の部分しか見なくなる。
100%絶対にありえない部分を探すなどありえない。何故なら100%
ありえないから。論理的だが非常にマヌケな考えかたである。
100%など自然界にはありえないからだ、情況が変われば確率は変動する
人間が認知したものだけが数値化のような意味になり1+1=2のように
意味だけが客観的に理解される。
自然なものは1+1=「2の近似」である。
それは計るという行為が1を捉え1に近似しているものを1と四捨五入
して捉えてしまうからである。故に1+1=2となる思考に陥る。
1+1=3になるような思考ができなくなるのが知識や論理という存在
が作るデジタルのような世界である。
オカルトでは魍魎のような陰の外側にできる、ぼーとした曖昧なグレー
ゾーンを扱う。これは客観的な思考では認知して意味と昇華したときに
陳述可能な意味になり、本来意味にならない情報が欠如している。
オカルトで扱うのはこの意味になりえない部分を扱っているにすぎない。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 18:46:53ID:VncGX2Ymこの形は能力者にとって芸術のそれに等しい。すなわち能力者毎にその結果は
異なる、これは芸術というもの。
芸術に必要なのはインスピレーションであり、それは直感や霊的な感受性を
示す。学問に存在しない何かを生むにはこの芸術が扱うような直感的思考が
必要で現代の科学教育ではその部分が欠如している。
見えないもの触れないもの計れないもの、そんなつかみ所のない存在を
学問でどのように扱う?
オカルト的な技術は存在するが、個人の能力に激しく依存してしまう為に
その技術を客観的に利用するのは困難である、例外的に知識や常識をもたない
コンピュータでその潜在的で混沌とした隠れた何かを拾い出すソフトウエアは
存在している。サイエンスゼロで放送さえあった。
しかしその技術や得た情報を利用するには、隠れた意味を隠れたまま、
意味へ昇華せずに扱う人の能力も必要となる。
人が本来もっている曇り無き眼がこれを利用するもっとも有効な媒体です。
古来人は、見えないものから何かを掴み取る方法を知っていた、それが天使
がもたらす神の啓示的な言葉。
神とは偶像ではなく、森羅万象、万物の精霊、全てに宿る魂。
形が成す形而上のことを形而下へ翻訳する作業である、これは神秘的に
現象へ現れる前の意味へ至らない事象であるから、天使となる術者が能力を
発動させ形や言葉へ昇華(多次元情報を人の捉えられる意味へ)変換する
見えないものに形を与え、名前の無い物に名前を与え、意味のないものに意味
を与え。これが超能力という原始から受け取る極自然に生まれた世界と人を
つなぐ為の絆。「失われし大地との絆のこと」
物事を象徴的に、曖昧に、ありがままに感じ取ることが大地との絆を結ぶ
本質である。オカルトはこのグレーゾーンに存在する実在へ至らない何かを
グレーゾーンのまま扱う技術でもある。
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 19:00:25ID:VncGX2Ym陳述できる思考として論理的に仕組みや概念を記憶する。
これこそがオカルトの隠れた魍魎といわれる部分を扱えなくしている最大の理由
で知識や論理、教養や学問や、形式が意味となりて識別され
神が扱う万物共通の言葉、象徴的概念を記号的概念へ置き換えたからこそ
文字は神から授かった言葉がばらばらになり、人の言葉として意味を扱う
知識を扱う客観的な事実を扱う道具として人が作る造語が多種多様として
普及したのではないか?
主観でのみ捉える感じとるという抽象的な象徴な概念(イメージ)だけを
妄想するように形や言葉に固定せずに扱う態度が神との結びつきだろう。
言葉は意味を支配する。そして人も支配する。神は人を支配するのか?
森羅万象や精霊は人を支配するのか?
意味にならないからこそ、主観的な感じかたが重要になる。
これは瞑想へ至るときに発生する妄想の域で潜在的なものが表にでてくる。
そのときのイメージが訓示となり、啓示となり、オカルト的な技へ繋がる。
オカルト的な技術は、形を作りその流動の中で蠢く性質を決定し
道を誘導したり、性質や能力を予知して確率的に運命の選択の材料に
することができるのではないか?
人の形に宿る心、そして心に宿るものがオカルトの現象であるはず。
心の仕組みとは、説明すれば意味が変わってしまう流転的な存在だと
理解してみないか?
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/11(金) 23:54:16ID:NjR7VrKn>理解してみないか?
それはよくわかる。
言葉で全て説明なんてできるわけがない。誤解も生まれる。
だからといって言葉で言わないわけにはいかない。
わからないものを話合う為に作り出したのが言語でしょう。
>見えないもの触れないもの計れないもの、そんなつかみ所のない存在を
>学問でどのように扱う?
学問で扱う半分位はこういうものだよね。
人間はそんなものですら測定や説明を可能にしてきたんだから、あなたの言うオカルトというものが未来永劫説明不可能と
断定するには早すぎないだろうか。
建設的にいこうよ。
私はその超観察能力をどうにか人の為に役立てたい。
それには具体的にはどうすればいいかな。
それについて話し合いたい。
0036鳩♪
2008/07/12(土) 01:21:54ID:+pjpmk080037名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/12(土) 07:30:00ID:ENHyKhJJ創造神話であり、もうはじまっており、送像的である
ビルドドドドドド生えてくるよ。もうはじまっているからね
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/16(水) 16:50:41ID:tCK/+bgyそこが?嫌めならば、乗り越える、又は進路を変える、等と良き方向には?進み易くは?なるだろう。これが私の見解だ。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/16(水) 17:00:51ID:tCK/+bgy0040名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/17(木) 03:57:37ID:211aR6gwLUCKYは必然である、何故ならラッキーな人は人生はラッキで連続する。
運と不運が交代でバランスよくくるという信仰があるが、生まれて即、不運で
死んだ人は幸運は一生こないだろう。
故にラッキーは生まれ持った宿命である、
常勝とは、負ける戦いをしないという意味でもある。
これは勝つのが必然、屁理屈でもデタラメでもない。
それを自然に導く特徴を生まれもってもった人が運を手に入れるわけだ、
不運を無意識に避けてしまうのも生まれ持った天命である。
だた本人が幸運だと思っているかといえば別の話で、
他人からみて幸運であり、自分の立場では普通の運でしかない。
望むと行えるのではなく望まないことも無意識で受け入れてしまう。
極近未来は論理通り、自然法則どおりなるだろう。どんなに選んでも
これを変えることはできない、しかし遠い未来なら話は別だ、
無意識で選ぶ何か、それは好き嫌いという特徴などが示すその進む道は、
予測できるものでもない、しかし飛行機が嫌いなら飛行機事故に遭遇しない
し食べ物に好き嫌いがなくバランスが保てる環境にいたら、生活習慣病も
敵に回すこともない。
予め宿命となる命が備わっていて、それが自分で選んだはずの運命を左右する。
直後の事象を考えるときは運命を選ぶことになるが、直後ではなく事象が生まれる
そして事象が作られる始めの段階で選択がなされるようなものは運命の選択
ではない。
ただその始まりの予兆を感じ取れる能力があるかないかの差。
これが超能力で、予兆の見逃さず最大に利用できるのも超能力である。
結果は確実ではないが、積み上げられた山が示す意味は必然でしかない。
何事も選択の繰り返しが積まれる結果であり、それによってなりえる
最後の選択は簡単に選ぶほど少ないもの。そのラッキー的な流れに
乗れるかどうかの問題でもある。川の流れで下って全く同じ位置の道筋には
ならないが、川の流れの範囲から飛び出ることはない。川下りとはそういうもの。
一定の幅の中で川の流れが行き着く先は決まっている。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/21(月) 15:47:56ID:yaYXVY+v即ち君は、恋しいという意味であろう。
恋する気持ちとは超!能力と言えるかといえば?…そうでもない。
だからこそLUCKYという名の高揚と安堵のWAVEを。かぎ分け趣味にもしてしまうのだろう。
ラ・KEYがその手にない、という気持ちはどうだ。今度、産む気持ち。という、夢のお告げであろう。
したらば!望むものが手に入るかもしれない。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/23(水) 10:01:35ID:ibheczVX0043名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/06(水) 01:24:00ID:RSURt3A40044名無しさん@お腹いっぱい。
2008/09/30(火) 22:36:07ID:1xfc50BR偶然の確率が極端に偏ってできる結果なのは間違いはない。
その形が要因と結果で対を成さない故に科学では扱えない。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2008/10/02(木) 23:49:35ID:9bNVB/vr概念である。
どんなにアナログ的なものを細かくデジタル化しても計れないものは存在し
それを計れるというのは、科学万能主義者でしかない。
中国古来では魍魎の説明を日向に移る地面と影との間にできるぼやけた
特定できないものを魍魎と表現した。
つまり科学で特定できないことが魍魎であり、非科学、超科学の分野である。
それを否定したいのが科学万能を信仰している君にすぎない。
どんなに計っても円周率の末尾桁を求めることはできない、それは無限に
続く模様だからだ。
そういう割り切れない定めるとことで意味が変わってしまう存在をオカルト
や神秘学では扱う。そこは決してデタラメでもなく、見えない秩序によって
支配された科学で割り切れない誤差の部分である。
科学で認知できないものには、その誤差は全体を占めるように多くを表す。
その結果に生じるものに意味が存在しても途中の仕組みが神と呼ぶような
捉えられない仕組みによって変化しつづけるものである。
そんなものは存在しないと考えてない?それは君がまだオカルトや神秘学に
ついて何も理解していないからだ。知識で捉えられるのは科学であり、
我々が扱うものは知識では捉えられない対象である。理解するのではない
結果が先にあり、中身の仕組みを理解するのではなく、仕組みは都合よく
あとから生まれるものなのだから。だからこそ超能力は必然であり。
超科学=非科学は必然として起こる秩序を扱うわけだ。
同じ原理を底辺にもっていても、そこに生まれる仕組みは客観的ではない
ことを悟れるかどうかで受け入れられるかという話になる。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2008/10/23(木) 23:57:22ID:50fSJ3Ge0047名無しさん@お腹いっぱい。
2008/10/31(金) 20:09:04ID:gfoIA/Y80048名無しさん@お腹いっぱい。
2008/11/07(金) 19:20:31ID:jqu5lof/超能力の1つである。
それは感じ取ることができるか?それが超能力である。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2008/12/11(木) 22:47:31ID:JkLWr+8K必然的な超能力である
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2009/01/27(火) 15:31:41ID:NUbGU9AN開始:09/01/26 21:11:55
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0051名無しさん@お腹いっぱい。
2009/02/20(金) 06:59:46ID:S5TuHCPV0052名無しさん@お腹いっぱい。
2009/03/24(火) 01:45:52ID:lvtpx+kN0053名無しさん@お腹いっぱい。
2009/03/27(金) 05:30:43ID:2DfEfEDd0054名無しさん@お腹いっぱい。
2009/04/02(木) 23:46:20ID:/P49T0iIttp://mat.blogdns.com/up/img/mat_273.jpg
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2009/04/20(月) 03:47:15ID:pkHSaOtz0056名無しさん@お腹いっぱい。
2009/04/24(金) 15:34:29ID:UZnmovhP0057名無しさん@お腹いっぱい。
2009/04/29(水) 16:39:07ID:u6H5mx/j面白いと思ったんですが
>>23
>故に思いが念力となり物理現象の流れを曲げるなんてことはありえない。
ってとこがわからない。
「物理現象の流れ」自体が固定されていないというか
「(現在の)科学でとらえきれていない現象の直前をとらえて」
(現在の)科学におさまらない形で物理現象の流れを曲げることは可能なんでは?
つか、実際、スプーンは念力で曲がるし。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2009/04/29(水) 17:36:49ID:WJn52Joa物理なら論理として因果関係は物質現象なわけだから
仮説でも反証できないものは、物理現象ではない故に念力は反証できない
類ということになる。
反証できないからないというわけではなく、物理現象として論理的に
はそれはありえないということ。
つまり非論理的な現象ならそれは十分ありえるってこと。
非論理的なものは反証できない、行うたびに違うもので定まるという
特徴をもたないもの、風が吹けば桶屋が儲かるのように、最初の微小
的な因果が拡大することで最終的な結果へ神秘的な原理を元に必然に
なるものは論理的にはありえないってこと。
非論理なものは、偶然が重なり必然となる。
それを人は奇跡とかミラクル、魔法などと呼ぶ。
科学ではありえないが、非科学ではありえる。
世の中は全て科学で説明しきれると断言する自信が貴方にあるのかが
問題である。スプーンが念力で曲がるのは科学的な論理連鎖ではない
つまり科学的にはインチキをしなければありえないってことね。
科学では偶然と呼ぶものでも神秘的な話ではそれを必然と呼ぶ。
科学に汚染されていると神秘的に起こるものすら科学現象だと思い込む
それは人智が全ての真理すら支配し、支配しきれると思い込むこと。
あなたも少し科学万能主義に汚染されているのでは?
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/02(土) 21:53:53ID:X25Z7pfg曲がった直接要因は、人智が理解する物理法則で曲がる。
それは電磁波、力、熱、その他の物理的な局所の力によるもの。
または、人智ではない(神秘)の森羅万象の未知の力で曲がる。
それは人智では観測できていない法則ですから、貴方もその周囲の人も
曲がった要因は観測できていないということになります。
前者であれば、トリックや見えない法則を利用した手品の類になります。
特別な錯覚や人がみえない力を達人技で見えないようにしただけにすぎません。
後者であれば、念力という人智の知恵の及ばない未発見の力があるということに
なります、念力でしか発生しえない未発見の力であれば、それは能力者以外では
再現不可能でしょう。貴方に再現させることはできますか?それはNOな筈。
念力として機能する未発見の力が物理法則とは別に機能するとすれば
それは発見できないことはありえません。念力という結果によって再現する
のですから現象確認ができるでしょう。これは変です、
念力の使い手は特殊な環境を一切拒否し確認をすることを拒みます。
そしてその観測環境では再現したことはありません。
これとは別に人智が明確にした物理現象の範囲でおこる神秘の力とすれば
それは物理法則には違反しないので観測可能なものになります。
貴方が根拠無く表現しているのはこの3番目の神秘の力ではなく、
人智が認知する物理世界の外からの第三の力があると説明しているだけに
なりえます。
神秘の力とは、直接要因として起こるのではなく、偶然に見える現象が
必然的に非論理的な要因を返して連鎖的に因果して機能することがある
という話です。「風が吹けば桶屋が儲かる」の言葉の比喩のように、
風評が実際の力になることがある。言葉は力なり、つまり情報は力となる。
高次の現象を連なり連鎖した複雑な流れが論理的な仕組みのように機能する
ことがあるということです。
それは何かが起こる兆しのようなもの、兆しが集まれば兆しどおしが相互に
作用し1つの大きな兆しを生む、それが特定できない何かだが、
起こるべきときは特定できないが、必ず必然として起こる。
台風が発生する日を特定できない、地震が起こる日を特定できない。
そういうものは必然的に台風は毎年おこる、万年単位で地震は必ず100%起こる
これが神秘的な必然というもの。絶対確実に発生するが割り切ることができない
全体の流れ。廻り巡って生じる何かは論理では説明しきれない。
それは要素が無限にあるとういことで、要素が論理で特定できる情報処理の
容量の範囲を超える、つまり人智を超えた計算でしか計れない=人智では
計ることができない予想では可能かもしれないが、人智の領域の論理では
量的に説明できないというものがあるのです。
006057
2009/05/03(日) 10:57:05ID:48FCzxUMうーん、>>57さんが何言ってるかよくわからないので
自分の考えをまとめてみると。
科学(人間が世界を説明する論理体系)自体がそんなに固定されたものではなく
あくまで、今の時点でわかっているものに基づいた仮説の体系。
「スプーンが念力で曲がる」ことを説明する科学体系も
そのうち可能だと思う。
たとえば「客観的な事実などなく個々の認識があるだけであり
観測者の存在が、観測されているものに影響を与える」という「科学的知見」もある。
おそらく、私と>>57さんと意見が一致しそうなところは
世界は知的に観測される固定的なものではなく
「意志」のようなものによっても動的に構成されている、ということだろう。
(奇跡や魔法や超能力には「知」ではなく意志がかかわっている。
知の一般的枠組みを変えられるほどの意志)
……というようなところまで書いていたら>>59のレスが。
>>59もよくわからなかったけど、とりあえず、
スプーン曲げは実際見たことがあるんですよ。
その人は、「ただ見るだけ」で折りました。
ただ、その現象には、周りの人たちの意志・意識も関わっているようですね。
これは可能だと思う人がその場に多ければ曲がりやすい。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/04(月) 23:15:54ID:cJGph3le科学は常に観測者(関係を示す何か)から因果関係を連鎖する論理で
客観的に判断するものです。
それは観測者がいない場合は科学にはなりえない。この最も根本的な
ことを理解されているでしょうか。
>「スプーンが念力で曲がる」ことを説明する科学体系も
>そのうち可能だと思う。
可能と思うのは科学ではなく、オカルトやトンデモの類です。
未来は計れないと科学を含めた学問では多くの反証からそれは確定していると
されております。それを覆す論理は科学との関係を持たないもので。
将来ならできるという希望を否定するのは問題ですが、それは科学とはいえません。
スプーン曲げが現実にあるという事実は、科学的な方法で検証したものもない
故に科学を正しく理解している立場ではスプーン曲げはまだ思い込みか未発見
であり誰にもそれが現実にあったかは判断できないというのが正しいわけです。
科学的な仮説としてもそれは有力なものはありません。
貴方の捉え方は論理ではなく体験からみた主観論であり客観論にはなっていない
ということです。主観が間違いとはいいませんが、客観論でなければ誰にも
認めてもらえないという流れになることは分りますよね?
念力があると思うのと念力があると実証されたのは意味が違うんです。
貴方のは念力があると信じる、そしてその根拠はそれを見た体験であり、
それが実証されたものではないということです。つまり論理的な現実の
背景が曖昧、空白であり、論理の飛躍という状況にあるんです。
>スプーン曲げは実際見たことがあるんですよ。
ミスターマリックなどがスプーン曲げをその場の人を全て騙し、実際に周りが
見ています、その原理も本人が念力ではないと説明しています。
この見たという根拠や体験したという根拠では、実際に起こっていることを
説明し錯覚などを利用した手品の類ではないとは説明できないことを理解して
ほしい。それは自分の感覚を大事にするのは大切ですが、人は錯覚する高等生物
ということをます最初に理解してほしい。
錯覚するのが本来であり、正しく捉えらえる抽象的な観念としてみてしまうのが
正常なのです。
私は超能力を否定しませんが、貴方が信じているような超能力の場合のほとんどは
達人級、神の手を持つ人や頭脳をもつ人のトリックが氾濫しているということ。
私が言う神秘は、特殊な力ではなく科学では説明するのが困難なものが現実にある
そしてそれは科学で分析された世界とも矛盾せず存在し、特殊なエネルギーが
あるということでもないということ。
ただ捉え方が違う存在で科学的に計れないだけという話です。
その系の学問を複雑系といいます。これも科学だと思い込んでいる人がいますが
複雑系の学問は科学を扱うものでははないです。飛躍した現象に秩序が現実に
あることが発見され、その性質を考える学問であり知識的なものは科学的ですが
学問があつかう対象は科学ではないということです。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/10(日) 06:19:59ID:SUTBLB9P詳細にみたり、絶対的な時間で再現した検証で常に正しく得られる
答えではない。
100%絶対起きるのは必然ではなく、論理的結果、
作られたものにすぎない。
必然は常に高い確率でおきる何かであり100%には至らない。
自然の「然」であり、確定ではないのだよ。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/20(水) 11:00:15ID:zZ1GsTNI偶然とは、人間どもの理解をこへた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠してゐるのに、ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまつた現象なのだ。
人智が探り得た最高の必然性は、多分天体の運行だらうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には隠されてをり、わずかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩してゐるにすぎないのだ。
三島由紀夫
「美しい星」より
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/20(水) 11:02:00ID:zZ1GsTNI人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払ふにすぎない。
かうした人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のはうに、あらはに印されてゐるのだから。
三島由紀夫
「美しい星」より
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/21(木) 09:55:49ID:NT8JX7N9偶然と必然が等価なことすらその無知な三島由紀夫が到達できない知だってことが
よくわかった。
君は、論理を極限にまで追求した決定論ぐらい学んでくるべきだ。
その結果に偶然と必然の関係がどう判断さるか。
そしてオカルト的な説明でも偶然と必然は等価である。
思い込みにより必然と偶然は別であると思うだけ。
決定論では未来は確定しているが予測することは不可能としている。
つまり偶然などない、全て必然。故に偶然は必然と同じ結果ということになる。
オカルトでは未来は確定しないが、予知することは可能で、
オカルト的な予知とは、必然のこと。それは絶対的な結果の一致を示す決定論や
科学論の考え方とは違う。
そのマクロ的な性質が必然として現れると説明しているだけで、微細な部分を
明確にするほどまったく当たらないのがオカルトの必然という考え方である。
もうちょっと勉強しような。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/22(金) 12:55:00ID:k5xZTkCV大丈夫ですか?日本語の読解力ないの?
三島由紀夫のこの文は、偶然などなく、すべて必然だと言ってるんだけどね。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/22(金) 15:07:19ID:ZA2BWg/Z信者乙
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/23(土) 07:50:20ID:Y+b1pz1i偶然=必然
あなたはもともとの意味すらしらない。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/23(土) 22:42:48ID:61ZLLfDcお前は、もともとの意味、とか言ってる時点でバカだ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/24(日) 15:33:45ID:CfiYLfHu0073名無しさん@お腹いっぱい。
2009/05/25(月) 09:03:49ID:W/YiF9OT馬鹿と表現するのが一番馬鹿なのは明白だろう。
0074NPCさん
2009/11/27(金) 19:01:21ID:WF/XIUdW2+1=3
少林寺小学校 http://www.sakai.ed.jp/shorinji-e/?20091127&rt5456794534890835420
多比保育園 http://www.ans.co.jp/u/numazu/tabi/?20091127&rt544953804605835
あきら幼稚園 http://www.akiragakuen.jp/?20091127&rt64578348956894534
明浄保育園 http://meijyou.net/?20091127&rt56489539869845342
診断くん(taruo.net) http://taruo.net/e/?20091127&rt662578347853794987
国本中央小学校 http://www.ueis.ed.jp/school/kunimoto-c/?20091127&rt54654983804608534
人見保育所 http://210.175.74.81/welfare/childcare/hoiku/hitomi/?20091127&rt44568943087564
真覚寺保育園 http://www.shinkakuji.com/?20091127&rt46497853985680434
正色小学校 http://www.syoshiki-e.nagoya-c.ed.jp/index.htm?20091127&rt3534827894593
平等寺保育園(北緯33度49分12.732秒,東経130度34分6.01秒) http://www.ans.co.jp/n/byoudouji/?20091127&rt3479497349723
オリジナル地球 http://www.universe-s.com/img/news/2004/0520_01.jpg
龍郷町立 円小学校 http://ensyou.synapse-blog.jp/?20091127&rt45538742784382
高知市立 追手前小学校 / のびゆく記録 http://www.kochinet.ed.jp/otemae-e/kiroku/?20091127&rt4437492934
薬利小学校 http://www.nakagawa.ed.jp/eskuzuri/?20091127&rt455342738935042
生浜小学校 http://www.cabinet-cbc.ed.jp/school/es/024/?20091127&rt54347889323934
有住小学校 http://www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/elarizum/?20091127&rt54536482478293
幸福の森幼稚園 http://www.shiawasenomori.com/?20091127&rt35364827839472
2ちゃんねる http://www.2ch.net/?20091127&rt5873478654368
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2010/12/13(月) 04:27:16ID:ZX0oEdl+/<_/____/
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0076shin
2011/05/14(土) 16:29:41.73ID:qpZ30z0Kこの時代には、宗教改革が起こり、カルビン派には予定説といって、「聖書に書かれていることは現実で起きる」
という信仰があったそうです。ノストラダムスがカルビン派の信者かどうかは知りませんが、カルビン派の予定説
のような考えは、科学では偶然と呼ばれてしまいますが、やはり、まだ証明の方法が確立されていないだけで、複
雑系として捉えることができるのでしょうか。
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