そういう見方がこのスレに適格か否かを判断する一つのフィルタの役割を果たすかもしれないが、どこか話がおかしい。

あなたの言う「現実」というのは、感じる人にとっての「現実」とは把握のされ方がかなり異なるし
「リラックス」っていうのも何故リラックスできるのか、できないのかという話にならないと問題の解決に繋がらない。
現象の原因は千差万別で、そこに基本構造はあっても事例は全て異なる。

現在の空気感なんていうけどね、そういう空気、或いは時間ってのは基本本人に固有であって、
客観的な時間や、他の大多数にとっての空気などさほど意味を持たないのだよ。
切り替えろは無駄。何故切り替えられないかを探索しないと何も終わらない。見えてすら来ない。

あなたのは原因の特定よりもブレインウォッシュして仕事できるようにして放り出すくらいの意味しか持たないでしょう。
大体、個人の認識の話がなぜ他人とのコミュニケーションの話となるのですか?
現実の空気感とは、他人に確認してもらう形では存在し得ません。
あなたの理屈だと共同幻想も現実の空気感だ。それは確かに一理あるが、なぜそれが
個人にとっての現実「でなければならない」のかということが、かなり引っかかる。

汚物(といわれてるもの)を除去するのに、そいつと対決させないでどうするよ?
忘れたって何にもならないどころか、新たな地雷となって埋まるだけだ。

このことはサトリサトラレのこととは分けた方がいい話題かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
今は判断つかない。よって書くことにした。以上。