わかる感触に近づくための一例。これが全てではないし、この「種」が全てでもないが、
思いつく度に例は増やしていこう。

昼下がりの喫茶店の穏やかな時の流れの中、俺の彼女が日本語の勉強を始めるべく問題集の本を開いた。
俺もその場にいるのだが、会話は英語で行っているので、このような状況が可能になる。
一面に日本語の動詞がこれでもかと敷き詰められたページを開いて、俺は彼女が圧倒されているのに気付く。
彼女は急に焦りだした雰囲気で、電子辞書を取り出し、一語一語の意味を書き込み始めた。
穏やかな時が切迫した空気にかわった。

こんなに沢山あったら無理だ、時間が足りない、と彼女は言い、電子辞書に打ち込む指が速くなる。
俺は、ちょっと待て、と作業を中断させ、彼女が情報量に圧倒されていたのを確認する。
彼女は圧倒されているのを認め、だからこそ急いで辞書を引かなければいけないと言う。
俺は、そんなことは今すぐやめて、まずその圧倒感を取り除こうと言う。
彼女は、そんなことしている暇はない、こんなに沢山やることがあるのだから、余計なことは言うなと俺に告げる。

俺は、辞書の意味なんて今は良いから、目に映る日本語の文字の羅列をただ眺めよう、と提案する。
意味の理解など放っておいて、一語一語の単語にゆっくりと目を向けて、ひとつずつ圧倒感を取り除いて、親しみを感じ取ろうと俺は言う。
そんなことしている暇はない、ああ、もう駄目だ、この喫茶店は居心地悪い、もう出よう、と彼女は席を立つ。


「わかる感触」は、目的の事柄に到達する前から使っていかなければいけない。
目的に到達できない原因を「わかる感触」で発見する。それを解消する方法を「わかる感触」で発見する。
その方法を実行するのを妨げる要因を「わかる感触」で発見する。実行結果、自分が何を得るのかを「わかる感触」で事前に知る。
この段階の例では感情についてはまだ考えない。
また、俺が直接日本語教えればいーじゃねーかというような問題は、別と考えた上での例。