要は、可能性を見いだすことができるかどうか、ということ。
そのためには、可能性を絞り、消し去る働きをする「ひとつ側」も
やれるところまでやらなければならない。

如何なる事態においても可能性を作り出せるのならば、
もうどうしようもない袋小路に叩き込まれるのが全体としては効率がいいのか。

全体側は、沢山の「ひとつ側」のチェックメイトを知ることで、
新しい可能性に気付いていく、というのか。共同作業なのは確実だろう。

こう見ると全体側は、試験前日までなーんにもやらずに遊んでる人みたいに見えるが、
そういう人間的な惰性に委ねた意識管理ではなくて、
全然関係なさそうな部分に休む暇もなく打ち込んでいるような意識なのかな。

この件は内容が薄いな。どうでも良く思える。