勘違いを振り回して関西に突っかかって来るアホな名古屋者もいなくなったようだし、
マジレスに切り替えるか。

織豊から徳川にかけての政権は、室町幕府が朝廷と結びつきすぎて武家政権として
弱体化したことを教訓として、京から離れた場所に拠点を置くようにしていた。
信長の安土にしろ、秀吉の伏見・大坂にしろ。そのうえで、江戸・駿府を拠点にするという
家康の例を見れば分かる通り、拠点を置くべき場所は、自家・朝廷・他の有力大名という
三者のバランスを見据えたうえで決める。
大阪が選ばれたのは、十年粘って見せた石山本願寺のごとく軍事的に有利なのと、
京の外港として物流を水運で扼することができるため。京は最大の人口を擁する
消費都市だったからな。京の物流を握れば朝廷との関係は有利になる。

対して尾張は、織豊のルーツであって、そこを押さえる者が象徴的に天下人に近い
位置にあることを他の有力大名たちに想起させるから、あまり疎かにするわけにも
いかなかった。
この故地ってのは武士にとってかなり重要なもので、例えば幕末には、長州征伐やらで
長州藩が孤立してから、幕府は長州藩が毛利の故地である安芸吉田を奪還するために
動くという疑いを持った。安芸の領主である広島藩浅野氏に命じて、分家の江戸定府の
浅野氏を安芸吉田藩主にするよう命じている。

尾張は織豊の故地としてのシンボリックな意味があったが、大阪とタメを張れるような
戦略的重要性はない。それが結論だな。
御三家のうち、尾張と紀州が張り合っていたのも、紀州が家康の隠居地である駿府から
移ったという形でシンボリックな意味買いが付与されていたから。

なお、尾張と同程度に重要な越前には、やはり福井藩という親藩の大藩があった。のちに
大コケしたせいで御三家からは外れたけどな。