ちなみに「尾張の山車からくり」は家康の時計修理が関係しているとされる
大事にしていた時計が壊れた家康は時計修理ができる者を探した
名乗りを上げた津田助左衛門が修理の過程で時計の構造をマスターし
日本時計技師の祖となる
その後尾張藩お抱えとなり明治まで代々和時計を手掛ける
京都や大阪で流行っていた人形浄瑠璃の影響を受けて
山車の人形に時計のゼンマイ技術を導入して高度な山車からくりが誕生する