一方梅田の歴史

江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれ、後世になって字面が悪いので産土神である綱敷天神社や露天神社に縁のある梅の字を埋田に当てて「梅田」となったと言われている。

1764年、曾根崎新地から北へ伸びて梅田墓地(現大深町・梅田貨物駅)へ至る「梅田道」が開かれたが、周辺は田畑ばかりの「ドタ」と呼ばれる寂れた土地で、西成郡曾根崎村の一部にすぎなかった。