>>333
こういうのも書いているが、「だから実際にあった」のか、あるいは「既成事実化への糊塗」なのか↓


《私は西武新宿線沿いに生まれ育ったが、生まれて初めて武満徹その人と遭遇したのは、中学生時代、
「小平」駅で停車してた電車のなかで、ふと見ると目の前にNHKのドラマ「夢千代日記」の台本を
読みながら座っている武満その人を見たときであった。このときに、訊きたくて訊けなかった
少年時代からの問いがある。実際にそれを訊いたのはずいぶんあとになってからである。
その質問とは、有名な作品「ノヴェムバー・ステップス」の末尾に関するものだった。
尺八に深く吹き込まれる一音をもって全曲は終わるが、音楽は閉じられる印象なしに沈黙へと
つながっている。「11月の梯子」という、やや謎めいた印象的なタイトルとともに、
この11段は、沈黙という書かれざる「12段」、終わることのないケージの言う意味での
沈黙へと開かれているのではなかろうか。後年(1992年)私は、参加していた
「テンプス・ノーヴム」という作曲グループのチラシのために武満に書き下ろしの原稿を依頼し、
武満は実に彼らしい、美しく、かつ私たちにはなにより有りがたい推薦文を送ってくれた。
この原稿依頼の折りに、私は長年胸に秘めていたこの問いを直接武満に尋ねてみることに
したのだった。話の半ばでさり気なく訊いたのだが、彼は直接言葉で応えることはなかった。
だが、そこで見た彼の笑顔はつい昨日のことのように思い出されてならない。
同じ時期、新日本フィルハーモニー交響楽団のエキストラ鍵盤奏者として私は何曲かの
武満作品(「ヴィジョンズ」「マイ・ウエイ・オヴ・ライフ」など90年代初頭の
作品群である)の日本初演に参加していたが、リハーサル中に質問に行ったときの
やりとりを含め、音楽的に忘れられない思い出である。千日谷会堂で長い列にならんで
焼香した彼の葬儀の折り、やっと巡ってきた自分の番の折りに
「ノヴェンバー・ステップス」が流れだし、私は息がつまるような思いで
彼の写真と直面して、しばらく(実際2分近く立っていたように思われる)
動くことができなくなった。それ以来、身の内にあったなにかに
触れてしまったような気がしてならない。》