「バルトークの思い出、または真夜中の妄想編」

早速テツラフの2枚組CDを買ったんだけど、記憶違いで2番協奏曲と無伴奏が入っているだけで、他はクルトワイルとヤナーチェクの協奏曲とのカップリングでした。
でもそれはそれで、企画に一本筋の通ったものを感じたので、買ってしまいました。
2ちゃんねるクラ板に書き込むようになってから怒涛のようにCDを集めだしたので、まだまだゆっくり聴く余裕がありません。
協奏曲はバルトークの中でも、非常に旋律的なものを感じました。ていうか、何故だかこの曲かけてると心地よく眠れてしまいます…
実はさらにもう一枚狙っているCDがあります。無伴奏とコントラスト、あと二つのラプソディーが入っているものです。(演奏者は知らない人だった)
やはり一つの季節はそう簡単に終わらないものです…

ふと思いついたことなど…
「弦楽器・打楽器・チェレスタのための」をハンガリーでは「音楽」と略すそうですね。
以前にも書いたけれど、僕はこの呼び方を非常に気に入っています。「諸君!これが音楽だッ!!」て感じで。
(どうも「弦チェれ」ってダサくて…でも日本語だったら仕方ないよね。)
そうか、ハンガリーの人たちはここに音楽そのものを聴き取るのか…とも想像してしまいます。

一楽章のフーガを初めて聴いたとき、僕はその込み入った音の連なりに「世界」が立ち現れるのを感じました。
こういった経験は余りありません。バッハやモーツァルトの一部の曲に似たような印象を感じることがある位です。
ちょっと説明しずらいのですが…「社会」ではなく「世界」というのがポイントです。
いかにもな現代音楽が「現代社会」批判をコンセプチュアルに音楽に変換するのはおなじみの手法。

でも世界のありさまを、音楽として捕らえなおすという才能には、僕はなかなかお目にかかれません。
有元利夫はバロックの様式を画家らしい言葉で説明します。

「たとえば人物の絵を描いた時、その人物だけきちんとかけていればいいというわけじゃなくって、部分、部分が複雑にからみ合って、織られてゆく、編まれてゆく、からまればからまるほどいいのである。
バロック音楽のポリフォニーの魅力がそこにはある。」