>>587
甘さを排除し鋼のような厳しい音楽を目指した、というところまではよくわかる。
そうやって完成させたものがどういうイメージを聴衆に与えるか、というのが
イマジネーションという意味だと思う。完成されたもののさらに先にあるのが
イマジネーションという意味では? 完成する以前の思い入れ、というのは単なる
雑念にすぎず、これは想像力とは呼ばないと思う。

ちなみに、故三浦淳史氏が紹介していた記事によれば、さすがのハイフェッツも
トスカニーニの前ではすっかり萎縮してしまい、顔が蒼褪めていたとのこと。
これが仮に事実だとすれば、ハイフェッツ自身の演奏を選ぶなら、ライナーとか
セルという人達と競演した場合のほうが幸福だったのかもしれない。