確かにそうだったのかもしれない。そもそもジャズという
音楽がどこからどこまでのカテゴリーをさすのかという
難しい問題に答えを与えておかなかったことは私の失敗だった。

しかし即興演奏というできるだけその枠組みを突き破ろうとする方向性と
それに対して即興演奏を枠組みの中へ押さえ込もうとする方向性との対立は
ジャズの歴史に共通する現象だと私は考えていて、弁証法的な運動がジャズ
を音楽として面白くしているものだと思う。

そういった対立からより新しいものを生み出していく力を、今のジャズは
失ってしまったと考えている。そういった緊張関係を持ち得た最後の世代
の音楽家たちがアイラーやコルトレーンだったと思う。

確かにこれは完全に私のフリー好き故の暴論なのかもしれなかった。
今まであがってきた演奏家達も聴く必要性はあるのかもしれない。

しかしジャズの音楽史に残した最も大きな業績は即興演奏の再評価
という点にある。そして、アイラー達がいなくなってからも、
そういった即興演奏の持つ新たなる可能性を模索しているアーティストを
けなすつもりはいっさい無い。ただデレク・ベイリーやエウ゛ァン・
パーカーやジョン・ゾーンやアートアンサンブル・オウ゛・シカゴや
キース・ジャレットや、電気に走ったマイルスらの音楽を私はジャズ
といわないけどそれらの音楽に私が心底惚れ込んでいることは事実だ。