>>747-748
話しそれてスマソ。
その昔、折れの後輩がピアニスト目指して(音大へは行ってなかった)
20台中盤から留学したんだが、そのコは大のホロヴィッツ嫌いだったんだ。
当然、ホロヴィッツマンセーの折れとはソリがあわんわな。
彼女いわく、「ホロヴィッツは楽譜を勝手に変えるから大嫌い。
あんなの作曲家への冒涜だし、信じられない。ピアニストは楽譜に書かれて
あることを最大もらさず再現するのが使命」みたいなことを言ってた。

折れは今でも、それはちょっと頭が固すぎるんじゃないかなと思ってる。
ある意味、楽譜への妄信的なピューリタンだな、と。
で、>>747-748さんのカキコを読んで、本当にそのとおりだと思ったよ。
楽譜というのは極端なハナシ、あくまで記号による記録なんだと思う。
そこから何を感じ、何を引き出すかこそが、演奏者の使命なんじゃないかな。
で、ホロヴィッツはその能力がズバ抜けていた。
彼の表現への執念と発想の柔らかさには、なにもピアノ音楽だけに限らず、
多くの表現を試みる人々にとって見習うべきものがあると思うよ。

ところで、例の彼女、今ごろ頑張ってるだろうか。
ああまでソリがあわないと、かえって気になるものだ(藁)。
やっぱり今でも「ホロヴィッツ大嫌い!」なんだろうか・・・