>>414さん
ごくかいつまんで書きます。

(38〜57年)
このあたりはまだ指揮者とオケの共同作業の色あいがつよく、
57年にむかって次第にムラヴィンスキーの個性が強くなっていきます。
(58年後半〜75年7月)
58年前半に胃の手術をし日本公演をキャンセルした後、
急速に峻厳な激しく切り詰めたスタイルへと変貌していきます。
病気をして音楽に対する考えがつきつめたものになったようです。
(75年8月〜81年)
ショスタコーヴィチが亡くなった後、それまでの激しさを突き詰めたようなスタイルに、
音楽に柔軟さとほの暗さが多少加わるようになりました。
ただし76年前半のショスタコ追悼プロは凄絶なものを感じます。
(82年〜84年)
コンマスの交代、盟友アルヴィド・ヤンソンスの死。自らの体力の衰え。
このころの演奏は音楽が厳しさの中にも達観した響きが支配的な演奏が増えてきます。
84年4月30日のショスタコの12番がラストの録音で、これは映像もあります。

最後のコンサートは87年3月6日。来年で15年になります。