カラヤン
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0883名無しの笛の踊り
NGNG極論すれば、作曲家が音に込めた想いみたいなものだ。
精神性の深い演奏とは、たとえ楽譜の指示に従わずとも、
音の裏側にある作曲家の深い想いさえ表現されていれば
(あるいはそれを感じさせてくれれば)、
それでOKというものだろう。
多分フルトヴェングラーはその典型であり、
トスカニーニも楽譜に忠実(?)という仮面の裏側に
このアプローチへの意識があったと思われる。
(つまり「新即物主義」も精神性追及のひとつのスタイル)
そこでカラヤンだが、
この人はおそらく作曲家が曲に込めた精神性などより
徹頭徹尾自己の美的感覚で曲を磨き上げることの方を
演奏の最大目的としていたのではないか。
もちろん叩き上げのオペラ指揮者でもあったから、
曲のストーリー性をも無視することは少なかったが、
音の裏側にあるものを追求する気は
多分さらさら持っていなかったように思われる。
精神性重視のアプローチは、
演奏家のパーソナリティへの依存度合いが大きく
ときには演奏家の浅はかかつ勝手な思い込みを正当化してしまう。
最近の演奏家が「作曲家の意図」と口にするときは、
作曲家が想定した音色や演奏様式等を指すことが多く、
実際の演奏では精神性という概念をむしろ避けているフシがある。
カラヤンの精神性軽視(?)は、この点で極めて現代的といえるが、
何よりも自己の美意識を最優先させたという点では、
他に類を見ないある意味特異な存在といえる。
それが悪いという意味ではなく、むしろそれゆえに
今でも世界中の数多くのファンが
カラヤンの美的感覚に酔いしれているのだから、
やはり偉大な指揮者であったと言わざるを得ない。
まぁ、好みは別だけどね。
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