2のドイツ誌の評論再掲。以下の記述が正しい訳であること前提に論ずる。
「パーヴォ・ヤルヴィは安全圏に安住するのではなく、
激烈で先鋭的な指揮でオーケストラを発進させた。
彼のマーラーの解釈はスコアに忠実で、感傷的ではない。
どちらかというと客観的だ。それは日本のオーケストラに合っている。
そしてそれは2日前のAlain Altinoglus がベルリン放送響とともに、
指揮台で示した第3交響曲のヨーロッパのセンスある深い解釈とはなんと
違うのだろう 」
この評論は、評論の体をないしていないぞ。まず、「ヨーロッパのセンスある深い解釈」が具体的にどういう解釈なのか記載されていない。
こういうのを、雰囲気評論ないし世論誘導評論という。ナチを生んだことも納得できるといえる。
評論するときは、これこれの理由により、こういう風に解釈できると、きちんと理由をつけなければならん。
百歩譲って、この文章から理由を探すと、「ヨーロッパのセンスある深い解釈」とは、「スコアに忠実でない、感傷的な解釈」ということになる。
バカも休み休み言えと言いたくなる。まあ〜「負け惜しみ評論」じゃな・・・・