絶対音感であろうが相対音感であろうが、誰にでも学習と訓練で習得できるのに、それをわざわざ特別視している人たちは、どこでそんな価値観刷り込まれたの?とか思ってしまいます。

習得出来ない人は、元々生まれながらにして音を扱うための感覚や回路が備わっていないか、能力に優劣がつくことを恐れて、わざわざ自分に蓋をして能力が開花しないようにしちゃってるかのどちらかというだけのこと。

習得出来た人は、その能力的なアドバンテージを周囲に認めてもらいたくて声高になるという、ただそれだけのこと。

絶対音感と相対音感との機能的な優位性なんてものは存在しなくて、どちらか片方を有していれば、もう片方も訓練すれば普通に習得できますよ。

それらの音感というものが醸成されてくれば、聴音はもとより視奏や作曲においても、音楽そのものの解像度が格段に上がり、同時に音楽に直接タッチしている実感が生まれ、言葉と同じくらいインプットもアウトプットも自然に扱えるようになりますよ。

そうなると、絶対音感とか相対音感とかいう概念自体が学習過程以外では不要だということに気がつくと思うのですが。