9大交響曲はベトの9曲でないということでしょう‥‥ただし、例えば
9大交響曲にブル8を入れるには演奏時間を半分ほどに簡略化して
スペシャルタイムにブル4を埋め込むみたいな荒療治が必要かもしれない、
そんなわけであるかしてモツの唯一の役割りは「世界的ブラームス化」の
予防(阻止)という要領で仮想していきますね、そうするとモツが協奏曲分野において「一点豪華
曲」に傾注し損ねた様なのはいかにも拙い(人間の悲惨さの始まり級に)、
もし至高協奏曲を編み直すとすれば協奏曲の統一感や構成感や楽器特性を
犠牲にして(ブラームスの様な捏ね繰りは要らないとすると)組曲としての魅力でも優り得る
でしょう、ただ特には何を車台みたくして内容の華やかさでの究極の協奏曲を編み上げるのか