-++ヘルベルト・フォン・カラヤン++-Nr.53 [無断転載禁止]©5ch.io
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0585名無しの笛の踊り
2016/06/27(月) 15:58:20.00ID:xYeEL82T太子ゆかりの三十三カ寺めぐり
聖徳太子の寺を歩く
聖徳太子誕生
「我に救世の願いがあるので、しばらくあなたの腹に宿りたい」。
欽明天皇三十二年(五七一)正月元旦の夜のこと、橘豊日皇子(たちばなのとよひのみこ
、後の用明天皇)の妃・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の
夢枕に、全身が燦然と金色に輝く一人の僧が立った。「あなたは誰ですか」
と妃が問うと、「我は救世の菩薩である」と答える。驚いた妃が
「私は夫のある身。そのような尊い方を汚れている身に宿させることは
できません」と断ると、金色の僧は「我は汚穢は厭わない、ただ少しき
人間に感ぜんことを望むだけだ」と告げる。僧の言葉に妃が思わず
「ともかく仰せに従います」というと、金色の僧はいたく喜んだ様子で
一筋の光と化して妃の口から胎内に入った。
妃は驚いた目を覚ましたが、目覚めた後も喉の奥には物を呑み込んだ
ような感触が残っていた。そしてこれより以降、妃はみずからの妊娠を
知った。
不思議な夢を見てからちょうどまる一年経った敏達天皇元年(五七二)の
正月元旦、禁中の諸司を巡察していた妃は、馬司で厩の戸に当たった
拍子に産気づき、玉のような皇子を出産した。その瞬間、黄金の光が
建物や庭いっぱいに輝き、空高く瑞雲のたなびくのが見えた。
『聖徳太子伝暦』に描かれる厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)
、即ち聖徳太子誕生の瞬間である。
また、『日本書記』は、太子は生まれてすぐ言葉を話し、聖人の
ような知恵を持ち、成人してからは一度に十人の訴えを聞いても
誤りなく、先のことまでよく見通したと記す。以下、省略。
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