後白河法皇御消息(蓮華王院[三十三間堂]本坊妙法院蔵)
わすれゆく人のこころはつらけれと そのをもかけは
なをそこひ しき
行真すなわち後白河院がしたためこの手紙は、寵妃建春門院の
一周忌御八講を目前にして、愛息高倉天皇(これは誰か言わない)と
中宮徳子に宛てたものと推定される。時に安元三年(一一七七)。
建春門院は、心用意高く、気取りなく機知にとんだ「愛敬こぼるばかり」
の女性であったが、三十五歳の若さで崩御した。中略。願主高倉天皇
の母の死への深い憂いと想いとを加筆せよと命じている。以下、
省略。梁塵秘抄口伝集 講談社学術文庫。
建春門院 平滋子は実はルクレツィア・ボルジアだった。平滋子の
ことはこの有名な肖像画できける。江戸時代に女系天皇で即位し後桜町天皇
になっている。これでも招霊できる。この人はあの世。
私は戦前、ゼロ戦パイロットだったとき密かにルクレツィア・ボルジア
の肖像画を集めていたらしい。今世は歴史読本ワールドの表紙で持って
いたが亡父にゆえあって回収されこの本は行方不明になった。