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アントン・ブルックマーを語れ [無断転載禁止]©5ch.io

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0001名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:12:22.40ID:rpiRBfh/
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  /  ●   ● | クマ──!!
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  アントン・ブルックマー[Anton Bruckmer]
      (1739-1811 ボヘミア)
0002名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:12:52.46ID:rpiRBfh/
アントン・ブルックマーは、1739年、現在のチェコ、チェスキークルムロフ
近郊に、小官吏の父ズデニェクと母ハナの間の一人息子として生まれた。
音楽好きの両親の影響を受け、幼少の頃より音楽に親しみ、故郷で5歳から
チェンバロを、翌年からヴァイオリンを学ぶ。天才のひらめきはないものの、
地道な努力で演奏テクニックや音楽性を身に着けてゆくタイプであったと
伝えられている。45年頃より独学で弦楽合奏のためのシンフォニア等の作曲
を試みる。
62年、23歳の時により本格的に音楽を学ぶためウィーンへと上り、同郷である
ヴァンハルとの知遇を得たことにより、ヴァンハルの師であったディッター
スドルフに作曲を師事し、ディヴェルティメントやカッサシオン、交響曲など
多数の作品を生み出す。
0003名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:13:19.54ID:rpiRBfh/
69-70年、ヴァンハルとともにイタリアを旅行し、同じくボヘミア生まれの
ガスマンと交友を結ぶ。この時ガスマンからグルックを紹介されるが、すで
に器楽作品の作曲を人生の仕事と考えていたブルックマーは、当時オペラの
改革を成し遂げんとしつつあった彼を「退屈な歌芝居ばかり書くオペラ馬鹿」
と評したと伝えられている。
イタリアからウィーンへ帰った直後、父スデニェク危篤の知らせを受け、
ボヘミアへ帰郷、以後父が没するまでの約5年間を郷里で過ごし、父と、心労
を重ねた母との看病をしながらもなお作曲に励む。父母の世話により自身も
心を病み、次第に精神を蝕まれていったようである。この頃の作品には、
交響曲などの他、弦楽四重奏などの室内楽も夥しい。

76年、37歳の時、病身の母を一人ボヘミアに残したまま再びウィーンへ上京、
当時交響曲作家として名をなしつつあったハイドンとの接触を試みるが、
折しもエステルハーザ宮の劇場活動の拡大によって年間を通じてオペラの
作曲と楽長としての仕事とで多忙を極め始めていた彼に面会する機会はつい
に得られなかった。ブルックマーは失望のあまり「ハイドンもまた愚劣な
貴族なぞの道楽に殉じてその才能をくだらぬ歌芝居ごときで腐らせるのだ」
と呪詛の言葉を吐き、以後終生ハイドンを自分の最大のライバルであり敵で
あるという妄想を一方的に抱き続けることとなる。
 以後の彼はそれまで以上にまさに「狂ったように」作曲に取り組み、膨大
な数の交響曲・室内楽曲・器楽曲等をウィーンで生み出した。
0004名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:14:05.21ID:rpiRBfh/
病の母を単身郷里に置き去りにしてきたという極度の罪悪感から、成熟した
女性との交渉を持てなくなっていた彼は、39歳で、街の雑貨屋で知り合った
17歳の娘ジュリエッタと結婚。控えめで聡明な彼女は、常に音楽のことが
頭を占め片時も五線紙と筆記用具を放さなかったアントニンに忍耐強く連れ
添ったが、81年、ふとした病から生来どちらかといえば虚弱であったこと
もあり20歳で死去。その後ブルックマーは10代の少女への恋慕を幾度も抱く
ことはあったが二度と結婚をしなかった。
82年、ある演奏会でモーツァルトの音楽を知る(おそらくピアノ協奏曲K.382
かK.414)。しかし彼は、この天才の音楽について「快活で流麗だがわたし
とは目指すものがあまりにも違いすぎる」とだけ書き記し、さほど興味も
感慨も示した様子は見られない。

また、モーツァルトが器楽曲だけでなくオペラやジングシュピール等の作曲
にも熱心であったことにやはり嫌悪感を抱いていたようであるが、とは言え
1780年代のブルックマーの書法には、モーツァルトやハイドンからの明らか
な影響が見られ、またそれを自分のものとして消化しようとする苦悩の跡が
認められる。
83年、郷里で長年闘病を続けていた母ハナが死去。短期間の内に最愛の妻と
母とを失った彼の精神はますます脆弱さを増すが、作曲の筆が止まることは
なく、相変わらず月平均5〜6曲、多い時には月10曲というペースで曲を書き
続けた。また、病んだ精神は彼の生まれ持っての飾りの無さや時に頑迷とも
言える自己への真摯さとも相俟って、辛辣に過ぎる他者への批評や誇大妄想
的な虚言となって、親しい友人達との間でさえしばしば衝突の種となった。
0005名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:14:43.03ID:rpiRBfh/
90年、友人と出かけた演奏会でハイドンの交響曲(詳細不明。おそらく89番
または91番)を聴いたブルックマーは、自身の旧作に似た旋律と和音進行を
見つけ、「ハイドンが自作を盗作した」との主張を公にする。しかし、似た
ような素材であってもすでに大成しつつあったハイドンの進歩的書法と、
古臭いとも言えなくもないブルックマーのやや保守的な作風との違いはあま
りに明らかで、この主張はハイドン側から当然のように黙殺された。
これに憤ったブルックマーは、往時対面かなわなかったこの7歳年上の大家
に直接訴えるべく、91年、彼をはるばるロンドンまで追う。しかしやはり
ザロモン・コンサートで多忙であったハイドンを捕まえることは難しく、
またイギリスでの彼の圧倒的成功を目の当たりにしたブルックマーはさらに
焦燥を募らせた果てに、「ハイドンはアメリカでもコンサートを開く予定」
というゴシップ紙の誤った情報を信じ込み、単身アメリカへと渡ることと
なる。
0006名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:16:35.45ID:k5bBAu//
ブルマー
0007名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:20:12.88ID:yqfMwG2D
    \   ∩─ー、    ====
      \/ ● 、_ `ヽ   ======
      / \( ●  ● |つ
      |   X_入__ノ   ミ   そんな餌で俺様がブルックマ――
       、 (_/   ノ /⌒l
       /\___ノ゙_/  /  =====
       〈         __ノ  ====
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             \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ
0008名無しの笛の踊り2016/02/20(土) 10:23:24.15ID:hFKGmUS0
グズダネ・レオハルトも語ろう!
0009名無しの笛の踊り2016/02/29(月) 23:43:44.57ID:JJY39MJ4
              / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
             /   ,――――-ミ
  ..          /  / -‐   '''ー |
        __    .|  /  ‐ー  くー  | 
       (_>、  (6  ´゚ ,r "_,,>、 ゚' |
         \ \ .|    ト‐=‐ァ'  |  ブルマーで股間を締め付けるのはキモティイイーでござるヨ!
           \ .|     ` `二´'/
           _,.-'' \      /
         /     \
        _r     入 \___/ )
       ノ   _∠_\__,ゝ'´
    __/   ,つ__  )
   ∠,.---―'"    / /
  (__ノ    三三三 |_{__
 〈/       三三 ヽ___)
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