民法でも、通謀虚偽表示は「善意」の第三者に対抗できないとあり(94条2項)、
この場合の「善意」は、「通謀虚偽表示の事実を知らないこと」を意味しますが、

離婚原因としての「配偶者から悪意で遺棄されたとき」(民法770条1項2号)の「悪意」は、「配偶者を扶養しないことを知っていること」ではなく、加害の意思に近いものだとされています。

 このように、基本は、「善意=知らないこと」、「悪意=知っていること」という使い方をするのは、民法において、善意と悪意で法律効果を区別している場合に使われる用語になります。

 ただ、法律家のいわば業界用語として、これを拡張して、一般的に、様々な事柄について、「善意=知らないこと」、「悪意=知っていること」という使い方をすることがあります。そういう使い方をしているかどうかは、文脈で判断するしかありません。

 例えば、「冒頭陳述」というのは刑事訴訟で行われる訴訟行為ですから、
そこで「被告人には悪意があった」と表現すれば、それは、通常は、日常用語としての「悪意」を意味していると考えられます。
民事訴訟・刑事訴訟を問わず、証人尋問で、例えば隣人関係を問う際に「悪意があったのか」と質問すれば、それも日常用語の「悪意」を意味していることになります。

 別の答えに、法律実務では「善意悪意」という言葉を使わないという答がありますが、そんなことはありません。

訴訟でやりとりされる書面には、「善意悪意」という言葉はしばしば使われます。
それが、法律の世界での「善意悪意」を意味しているのか、日常用語としての「善意悪意」を意味しているのかは、なんとなく文脈で読みとって進んでいるというのが現実です。

だから、民法の善意悪意の意味を、ただ『事前に知らないか、事前に知っているか』だけ、と考えるのは間違いですね。

民法でも、話の文脈によって使い分けるわけです。
上に書きましたように、刑法、刑事訴訟法を使う場面でも、『悪意』という言葉が出てくることはあります。