法律の勉強自体が、ある程度の文章のかたまりを
、自分が言い易いように変えながら覚えていくスタイルが多いと、
卑怯云々の話にはつながらないことを説明している。

元々、誰が書いた文章かは、わからないことが多い。
誰のオリジナルか、誰のコピペと言えるのか、それはわからないことがほとんどである。
その論証や、文章のひとかたまりが、コピペのコピペである可能性は、常にある。

それが元々は誰の文章か、オリジナルは誰なのかはわからず、
卑怯云々の指摘は当たらない。
短い文章部分なら、特に、誰もが似たような文章を書かざるをえない。

http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1455867215/445-446
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1455867215/497-498
この中身は、ほとんどが新たに作成された、宮坂秀彦よ、お前宛ての文章だ。

それに、きちんと答えないのは、『よく考えた結果、やはり答えられない』と、

お前の採用する説で、
『日本語として意味が通る、きちんとした文章が書けない』と、
自分でそういって敗北を認めているのも同然ではないのか。