「ヴァチカンで教皇に拝謁して、ミサに出席し、意匠を凝らした建築や美術、壮麗な音楽に触れないことにはキリスト教を理解したことにはならない」という発想と、「大事なことは全部聖書に書いてある、それ以外はいらない」という発想の違いみたいなもんじゃないの?
どちらも間違ってはいない