>>31-32
よくもまあ、こうも知的に未熟な文章が書けるものだと感心する。
一日考えた結果がこれか。
>良く解釈して、自分の問題意識で他の人も論議してくれなければ困る、という甘えきった考えだ。
という文章の意味を自分の頭でもう一度考え直してごらんなさい。

>>34
>で、私に関していえば「クラシックがわかる」っていうことは、作品の核が把握できるかとか、
>作曲者の意図が理解できるかということが、第一義だと思ってるわけです。
この部分はとても重要なことを言っていると思います。
つまりは許さんとあなたでは「クラシックがわかる」っていうことの意味が違うわけだ。
これが明らかになっただけでも大きな成果だと思います。
許さんは作曲者の意図とか作品の核心を第一義には置いていないわけだ。
許さんの考えは、言ってみればロラン・バルトのテクスト論に似ている。
テクストに先立って用意された作曲者の意図や作品の核心なんて(こういうとまた誤解されそうだが)「無い」わけだ。
そういうのは事後的に、派生的に成立するってことだな。
バルトは「まずは社会的現実、階級的現実がある」という内容のことを言っている。
歴史はすべてテクストに流れ込み、テクストからすべては派生する。
どうして許さんがチェリを評価するのかの理由は、まさにここにある。
許さんは実証主義的な批評観とは対極にあるんです。
さらには、許さんを印象主義的な批評の人だと曲解する人もここには多いわけでw
宇野さんは印象主義だよねw

<結論>
実証主義的地平にない人を、その文脈で理解しようと思うから、全く理解できない。

>>31-32。お前のことだよ)

p.s.
だとすれば「あの音楽」も佐村河内が書こうが新垣が書こうが同じということになるんだけど、
そうすると「ステレオサウンド」だっけ?、許さんの弁明は頂けないな。
誰かその時の許さんの文章、持ってる人いる?