【空虚光俊】虚光俊の言われ放題【酢光俊】 [転載禁止]©5ch.io
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0340名無しの笛の踊り
2016/02/17(水) 02:56:44.68ID:x6l9rT4m許光俊が読んだら参考になるんじゃないかな?
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9%E3%81%AF%E3%80%81%E3%82%80%E3%81%9A%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E5%85%B8%E6%B4%8B/dp/4004315751
著者は「村上春樹は野球帽を被った文学者だが夏目漱石や太宰治など日本近代文学の正統的な系譜の延長戦に位置する文学者」
と評している。
面白いのは、デビュー当時は村上春樹より村上龍のほうが文学者として上だったがその後二人の立場が逆転した理由についての論考だ。
龍は『限りなく透明に近いブルー』(1976年)で芥川賞を受賞したが
春樹は『風の歌を聴け』(1979年)『1973年のピンボール」(1980年)で芥川賞を逸した。
実はここに村上春樹の文学の本質を知る鍵がある。
春樹も龍も「否定性の否定」「肯定性の肯定」の文学でありそれが当時画期的だった。
それまで日本文学は国家の否定、社会の否定、自己の否定という否定性がテーマだったからだ。
それは日本が貧しかったからだが、70年代後半から日本は豊かになったので否定性を否定する文学が登場したのだ。
(田中康夫)の『なんとなく、クリスタル』(1980年)も春樹と龍と同種の作品だ)
しかし、龍は単純な「否定性の否定」「肯定性の肯定」の文学だったので
そうした考えが世の中で当たり前になった後にその次の文学を作れなくなり行き詰った。
そして、龍は『愛と幻想のファシズム』(1987年)『五分後の世界』(1994年)で単純な否定性の文学への緊急避難を余儀なくされる。
一方、春樹の文学はデビュー作の『風の歌を聴け」からずっと「哀愁を帯びた肯定性」の文学だった。
要するに「確かに日本は豊かで平和で否定性の対象とするようなものは存在しないが世界にはまだまずいい国や戦乱の絶えない国がある」
という認識が心の中にある上での肯定性なのだ。
例えるなら、井上陽水の『傘がない』の歌詞のような肯定性なのだ。
そしてこれが村上春樹の作品の本質なのだ。
http://j-lyric.net/artist/a00071f/l000b0f.html
結論を言うと、許は否定性を否定するクラシック評論家だったが
春樹ではなく龍だったのではないかということだ。
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