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>ということはつまり、許さんの言い分にも幾ばくかの重要な論点があるということだ。
それをただ単にセレブがどうのこうのと言うから、嫉妬じゃないの?ということになる。

あきれるというか見苦しいというか
一体、許の低級な俗物的セレブ発言のどこに、クラシック音楽にかかわる内容が語られているのか。
それなしなら、何とでもいえる。
ただ、いい気分になっているというだけではないか。
そんなことだから、佐村河内が出てくると、こんどは、セレブでのいい気分ではなく
地獄がクラシックと結びつけれられる。
内容がないから、どんな論議も、どんな極論も吐けるし、なんにでも飛び移れる。
だからこそ、佐村河内問題は、許の破綻を表現しているのだ。
そして、許に内容があるなら、佐村河内問題での失敗の後も、
その内容に立って、失敗を反省、点検しながら立ち直れるはずだが、
内容がないから、あれほど見苦しい(お笑いとしかいえない)自己正当化を繰り返す。
許を擁護したいなら(できるはずもないが)、京都を引き出すわけの分からないすり替えでなく
音楽の中身との関連を言わなければならないが、それがもともとない。