2,3,4番は初稿を見たヘルベックが説得して書き直させた。作曲者はかなり抵抗したが結局従った。(4の大改訂はヘルベックの死後)



2,3,4番は初稿を見たヘルベックも書き直しを助言した。作曲者は助言に
対しては抵抗したが(あまり他人にはとやかく言われたくなかった
ようだ・・・まあだれしもそうだろうが)、改訂はあくまでも彼自身の
判断で行なわれた。(4の大改訂はヘルベックの死後)

例えば、3番は完成のすぐあと1874年にはかなりの手入れをしているし、
その後もちょくちょく加筆している。大々的改訂は5番完成後の1876年
である。改訂は一時の思い付きや他人の助言だけでなされたものではない。
その間ヴィーンフィルには3度拒否されたと自身記録している。
その後に、ヘルベックが取り上げたのだ。(結局演奏前に死んじゃったけど)

このことは8番のときには、もっとはっきりした文献証拠が残っている。
レヴィの拒否にはかなりのショックを受けたが、後に「作品は全く
違った風に視えてきました」とレヴィに書き送っている。