>>646>>647
ベートーベンやブラームスは作曲家であり、彼らは聴衆のために
偉大な音楽を生み出した。
聴衆はそれを聴いて熱狂し作曲家を賞賛する。
それはとても自然なことだ。
俗的ではない。

ところがカラヤンは、作曲なんて全く出来ないくせに、他人の音楽を
使って自分を表現しようとしている。
演奏をちょっと聴いて、「これカラヤンの指揮だ!」とわかるのはカラヤンくらい
である。
聴衆は演奏後、作曲家でなく、カラヤンを賞賛する。
カラヤンにとって演奏とは自分自身を映し出す鏡なのだ。
それはとても俗的な行為だ。