>>175
「かなり練達」というのは幅のある表現であり、「新見解」といえるような見解を表明している訳では全く無いないと申し上げておく。
彼がピアノのヴィルトゥオーゾだったと主張している訳ではない。
「さすらい人幻想曲」は分からないが、それ以外の自作のピアノ曲は人前で披露できるほどの腕前
だったといことだ

その「さすらい人幻想曲」だが、ヴィルトゥオーゾ的な技巧にも意欲がみえる。
音楽の内容から余儀なくされた技巧か、それとも技巧をもって音楽の内容を拡大しようとしたのか、
そこは卵が先か鶏が先かで余り意味のある議論とは思えない。
頭の中にある響きをピアノに移し変えようとしたとき、ああいう技巧を必要とする音楽になったのだろう。

>そもそも名人芸を如何に披露するかという分野を好まなかったせいじゃないかと。
ここはそういうことだと思うし、大体同意するけどね