劇場のロビーに、キリスト教の弾圧に関する資料が飾ってあったが、
あの弾圧にもいちおうの理由はあった、という話を聞いたことがある。

当時の欧州の施策は、まず相手国にキリスト教を布教して、
それから植民地化する、というのが基本パターンだったそうで、
つまり当時のキリスト教は植民地化のツールだったというわけ。
家康はこれを見抜いたということになる。

あと、天草の乱は宗教紛争とされてはいるけれども、実際には
領主の横暴によって生じた単なる百姓一揆という側面が強いようだ。
鎮圧に行った知恵伊豆がやけに百姓側に同情的なスタンスだったみたいだし。